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先週開催された第三回『NIKEEI 全国社歌コンテスト』 (主催 日本経済新聞社)において、審査員賞の「弓狩匡純賞」には九州旅客鉄道株式会社様(JR九州)の社歌『浪漫鉄道』を選ばせて頂きました。実はこの曲には、個人的に並々ならぬ思い入れがあります。

私が、社歌という日本独自の企業文化を繙いた本邦初の著作『社歌』を文藝春秋さんから上梓したのは、早いもので16年も前のことになります。当時、社歌は「古臭い会社の慣習」、「全体主義の象徴」などといったネガティヴなイメージで語られることが常でした。世界各国の国歌を取材し、人間社会の”ユニット”をまとめる歌の底力(または魔力)に魅せられていた私でさえ、正直なところ「社歌はダサい」と、長らく敬遠していました。そんな私の固定観念を物の見事にぶち壊してくれたのが、何を隠そうこの『浪漫鉄道』(作詞 永富正廣 補作詞 伊藤アキラ 作曲 鈴木キサブロー 歌唱 ハイ・ファイ・セット)でした。

 

「この社歌が制定されたのは国鉄分割民営化に伴い、同社が新たなスタートを切った2年後の1989年(平成元年)のこと。これといったドル箱路線がなかったため『コーポレートカラーの赤は”赤字”?』などと、周囲からは揶揄されもしたが、社歌・応援歌制定事務局のメンバーであった松本博文東京副支店長(当時)は、

『だからこそ、全員が悲壮な決意で事業に取り組み、社内には異様な熱気が漲っていた』という。社歌の制定も、そうした新会社の”行き先”を定め、社員の心をひとつにまとめる重要なプロジェクトとして位置付けられた」 (拙著『社歌』より引用)

 

  新型コロナウイルス感染拡大前には(2018年) 537億円の経常利益を出していた同社からは俄に信じられませんが、この曲が作られた当時、JR九州は287億円もの営業損益を出し、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際にありました。そんな絶望的な状況であったにも関わらず、このような希望溢れる伸びやかな社歌が生まれたことに、深い感動を覚えたことを今でも鮮明に覚えています。『浪漫鉄道』は、マスメディアはもちろんのこと、研究対象とする学者もまったく存在しなかった「社歌」というジャンルに、私が切り込むきっかけとなった記念すべき作品でした。

 

  拙著に誕生秘話を綴り、2009年に監修を務めたCD『社歌』(キングレコード)でも、許諾を得て同曲を収録させて頂きました(同年秋に発売されたCD『鉄歌』にも再録)。『浪漫鉄道』は、鉄道ファンの間では、長らく”神曲”として”崇められて”いましたが、オリジナル音源がCD化されたのはこれが初の快挙であったことから、瞬く間にネット上で噂が広まり、CD発売前から予約は殺到。”企画物CD”としては異例のヒット作ともなりました。

 

 

  今回、『浪漫鉄道』がコンテストにエントリーされたと聞き、私は運命の糸を感じざるを得ませんでした。この曲は、ほぼ同時期に発表されたJR東日本の社歌『明けゆく空に』(作詞 得平祐市 補作詞 伊藤アキラ 作曲 森田公一 歌唱 サーカス)やJR東海の旧・社歌『君をのせて』(作詞 上田武 補作詞 三浦徳子 作曲 井上大輔 歌唱 高橋真梨子)と並んで、1世紀にも及ぶ社歌の歴史の中でも燦然と輝く名曲中の名曲です。バブル経済成長期に巻き起こった社歌の第3次ブームにおける金字塔とも云える『浪漫鉄道』であるだけに、私は一も二もなく審査員賞に推挙させて頂きました。また、「社歌が音楽ジャンルとして確立すればいいね」と、仰っておられた補作詞を担われた名作詞家 伊藤アキラ先生が昨年5月に逝去されことから、追悼の意味においてもこの曲以外の選択肢はありませんでした。

 

  〽 夢の列車がひた走る 愛と神秘の 平野を駆けて

  夢の列車がひた走る 駅それぞれの 幸せのせて

  海に始まる 山に始まる 終わりなき旅へ 浪漫鉄道

 

  そう。人々は出会い、旅立ち、そして別れゆく。『浪漫鉄道』は社歌の域を超え、熊本地震や豪雨災害にも屈することなく、今日も乗客の”想い”を乗せて、九州の大地を駆け抜けています。