広島市中央図書館の移転または改修・再建に際して、広島市に是非とも検討して頂きたい事案があります。被爆地・広島は、戦後77年間にわたり被爆に関する史実や証言を丹念に拾い集め、記録して来ました。広島市のみならず平和団体や個人によって集められたそれら文献資料は、今や膨大な数に上っています。
例えば先日、講演をさせて頂いたNPO法人ワールド・フレンドシップ・センターでも森下弘 名誉理事長が保管されていた資料 (Morishita Papers) が今も倉庫に眠っており(https://www.wfchiroshima.org)、リンガヒロシマは、75の異なる言語による原爆関連出版物の書誌情報をデータベース化(多言語で読む広島・長崎文献)されています(https://www.linguahiroshima.com/jp/)。
ところが、驚くことにこれら人類にとっての宝とも云える文献資料 (図書のみならず書簡や日記、メモなど)の多くは各種団体や個人によって収集・保管されたままとなっています。私も、拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』の取材で被爆関連資料の掘り起こし、収集を行いましたが、これらは広島市公文書館や広島市立図書館、広島大学図書館といった公共施設のみならず、様々な団体や法人に分散・保管されているため、収蔵先を特定するだけでも大変な時間と労力を要しました。
さらには、拙著の「参考文献」をご覧頂ければわかるように、その多くは個人が所蔵されていたものです。一例を挙げれば、取材対象者の甥御さんにお話を伺った際、「叔父の文書類はここに入っとるんよ」と押し入れから段ボール箱を出して来られ、「価値があるものかどうか、わしにはようわからんので…」と仰ったため、書類を検めさせて頂くと、歴史的価値の非常に高い本人直筆のメモが見つかった、といったケースもありました (広島市公文書館に寄贈されることをお薦めしました)。
広島市中央図書館の移転を契機に、こうした被爆関連文献資料のアーカイヴスを是非とも設立して頂きたい、というよりもこれは、被爆地・広島市の責務として実行すべき公共サービスなのではないかと。国内外の研究者やマスメディアのみならず多くの市民が必要な情報を速やかに検索し、ワンストップで入手出来るアーカイブスを、新たな中央図書館の”目玉事業”として進めるべきでしょう。
本ブログの連載『ゆるやかな死 序章』でも言及しているように、「被爆者なき時代」はもうすぐそこまで来ています。特に被爆者が保管している資料は、当事者が亡くなれば散逸、廃棄される可能性が極めて高い。こうした文献資料を一手に引き受け、精査、分類整理、保存する「被爆関連資料アーカイヴス」。世界中の人々が「核兵器・被爆」に関するデータを収集する際には、必ずここにアクセスするといった質量共に世界最大級のアーカイヴスを設立することが、「国際平和文化都市」としての務めではないでしょうか。
但し、アーカイヴスの起ち上げは、口で云うほど容易ではありません。まずもって膨大な文献資料を保管する広大な収蔵庫が必要となります。また、寄贈された文献資料の歴史的、社会的、政治的価値を読み解き、精査・分類する経験豊かなアーキビスト(公文書館専門職員)を複数名、新たに雇用しなければならず、「被爆資料」に特化した人材を育成する広島独自のエデュケーショナル・プログラムも構築しなければなりません。まずは簡単な手続きですべての文献を受け入れ、専門的知見により取捨選択するノウハウが求められます。
広島の方々はこれまで、資料を収集するだけで手一杯であったように思われます。次の一手を考える余裕がなかった。しかしながら、データというものは使われて初めてその真価を発揮します。ただ集めるだけでは、コレクターと何ら変わらない。幾ら集まろうが、収蔵庫に埃を被ったまま放置されていたのでは元も子もありません。
よって、これら文献資料をデジタルデータとして蓄積し、ネットワークを駆使して利活用する能力を有したデジタル・アーキビストも雇い入れる必要が出て来ます。世界中の人々が、「核兵器」を調査・研究する際、何はともあれ「広島市図書館をチェックしろ」が合言葉となった時、広島市は初めて「文化」を手に入れ、内外の尊敬を集めることが出来るのではないでしょうか。
残された時間はもう僅かしかありません。一作家としては、中央図書館の移転といった「ピンチ」を、ここぞとばかりに「チャンス」へと昇華する”攻めの姿勢”を是非、広島市には見せて頂きたいと願っています。
広島市民の皆様は今月7日に開会する広島市議会第2回定例会、18日からの予算特別委員会に向けて、選挙区の市議会議員に陳情し、市民の要望を市政に反映して頂くよう働きかけて下さい。今後1ヶ月間で、中央図書館とこども図書館、映像文化ライブラリーの命運は定まります。