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先月17日に広島市青少年センターで開催された『図書館移転を考えるトークイベント2022』において、「広島にとって、図書館とは何か?」といった演題で基調講演をさせて頂きました。お陰様で百名を超える方々にお集まり頂き、アンケート結果によれば86%の皆様が講演内容を評価して下さったとのことです (大変よかった・よかった)。

微力ながらもこの問題を、広島市民の皆様が自分事として捉え、より良き再生案を考え、実現させるきっかけになったとすれば嬉しい限りです (このイベントで私が説いた根本理念はその後、様々な”場”へ伝播しているようです)。

 

当日は、「国際平和文化都市」を謳う広島市の公共図書館のあるべき姿についてお話させて頂きました。また、この連載で公開している私案も併せて披瀝しましたが、会場を見渡して気になったのは、参加者の年齢層が60〜70代に集中していたことでした (アンケート結果によれば全体の66%)。確かに10〜20代の姿はまばらだったように思います。率直に云って私は、こうした偏った世代構成が広島市の抱える最大の問題点であると踏んでいます (拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』では、これを「断絶」と「停滞」の連続と表しています)。

いくら啓発活動を重ねたところで、すでに共通認識をお持ちの方々のみが集い、気勢を挙げるだけではさしたる意味はなく、発展性も見込めません。若者たちが関心を示さなければ公共図書館の未来は見通せない。ここで云う「若者たち」とは、おじさん、おばさん世代のテンプレート化した言説を、律儀に”伝承”するお行儀の良い「若者たち」のことではありません。

 

意識が高いとされる彼らは先々、政治家や新聞記者、平和運動家の道を歩むことでしょう。しかしながら広島で、これまで何人かのこうした「若者たち」と話す機会はありましたが、残念ながら優等生タイプの彼らからは、極めて”普通の”15〜29歳の若者たち17万9,686人 (2022年度「住民基本台帳」より) を惹きつけ、率いるだけの突き抜けたカリスマ性を感じることは出来ませんでした (人としてのタフさは経験によって身につけられますが、オーラのあるなしは年齢とは無縁です)。例によってマスメディアは、彼らを”若者たちの旗手”と祭り上げますが、彼らに賛同する同世代は全体の数パーセントに過ぎないというのが現実です。これでは、とてもではありませんがムーブメントは起こせません。

10〜20代の若者たちの不在は、この問題においても致命傷となり得るでしょう。それは図書館の再建が、次世代のための “知の拠点” を創造する施策だからに他なりません。スケートボードを手にした兄ちゃん、K-POPの人気アイドルグループBTSに夢中になっている韓流女子。どこにでもいるようなこうした若者たちが、「じゃ、明日は図書館で集合な」と云い合えるようなイケてるスペースとして生まれ変わらない限り、公共図書館の将来はありません。

 

「これまでまともに本を読んだことがない」、「じっと室内に篭もっているなんて真っ平御免」といった若者たちを、いかに図書館に引き寄せるか。そのためにはどのような図書館にすべきか? 制度設計は? どのようなシステムを導入すべきか? これら平均的な若者たちを基準に据えることで、万人にとってもより魅力的な公共図書館の姿が浮き上がって来るはずです。

大人たちは、どうしたところで図書館は「本を貸し出す施設」、または「静かに読書に耽る空間」といった固定観念から抜け出すことは出来ません。こうした旧態依然とした「図書館とはこうあるべきだ」といった考えに依拠している限り、大したアイデアは生まれない。重要なのは、どうすれば「地域コミュニティの中核」として機能するスペースを作れるか。極論すれば、「本」からではなく「場」からの発想です。

 

「ケーキのハコ」が設計コンセプトの金沢海みらい図書館(金沢市図書館)の外壁には、約6,000個の丸窓が配置されています(設計 シーラカンスK&H、堀場弘、工藤和美)。”文化”を重んじる同市には、その他にも金沢21世紀美術館や鈴木大拙館など優れた公共建造物が数多く存在しています。

 

 私は、拙著や講演で “共通言語” の重要性を常に説いて来ましたが、こうした若者たちと、図書館の“常連客” である高齢者らが接点を見出せる設えを用意出来れば尚更、コミュニティ・センターとしての価値は高まります。

 例えば、ヒップホップダンスを愛する若者たちに高齢者が、「あんたら毎日よう頑張っとるなぁ。でもダンスいうもんは、それはそれは奥深いもんじゃ」と語りかけ、映像文化センターで席を並べて米ハリウッドが生んだ最高のダンサー フレッド・アステアの作品を鑑賞する。すると感覚の鋭い彼らは必ず「カッケっ〜!」となります。愚にも付かない説教ではなく、時空を超えた優れた「文化」を共有することで世代を超えたコミュニケーションは生まれます。こうした機会を無料で提供出来るのは、実に公共図書館だけなのです。

一方で、若者たちには “お返し” として高齢者にデジタル機器やインターネット、 SNS の使い方をボランティアで教え、”デジタル格差” の解消に貢献して頂く。「校則って何なら」と云うような、やんちゃな若者たちが、「わしらが図書館を守って行かにゃならんじゃろうが」と目覚めた時に初めて、中央図書館移転問題は大きく動き出します。

 

被爆体験の継承といった重要なテーマのみならず、子育てや進学・就活、いじめ、納税、ドメスティックバイオレンス(DV)といった身近な悩みを気兼ねなくオープンに話し合える “場” を創ることが、結果的に入館者数の増加にも繋がります。また、こうした議論が熱を帯びると、どうしても正確な情報や専門的な資料が必要となりますが、図書館であればすぐに手に取ることが出来る。情報共有の簡便化。これこそが、コミュニティ・アクティビティにおける「利便性」です。

若者世代にいかにアプローチし、賛同を得て行くか。次代を担う若者たちが自由にアイデアを出し合い、創造性の高い現実的な再生プランを積極的に提案出来るプラットフォームをどのように構築するか。こうした建設的なプロセスなくして、夢のある公共図書館は決して創造し得ません。