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中国財務局の永井典男管財部長は先月19日、国が所有する旧・広島陸軍被服支廠倉庫4号棟の躯体に用いられているコンクリートは、現代において求められる強度と比較しても遜色がないとして、周辺住民の安全確保の観点から最低限の耐震補強を含めた安全対策を取るとの方針を正式に発表しました。

これで広島県が所有する3棟と合わせて、すべての棟が保存される可能性が高まりました。そのため広島県民の一部からは、県ならびに国の方針決定を歓迎する声が上がっていますが私は、寧ろ暗澹たる想いに駆られています。

 

   国は2019年末の段階で、「県や市に有効利用の希望があれば、公用・公共用優先の原則で、検討する」と明らかにしていたため、今回の国の方針決定は既定路線通りの判断であり、さしたる驚きはありません。4棟が揃って保全される公算となった点については大いに評価出来ます。しかしながら問題は、同・倉庫が国の重要文化財指定 (重文指定) を目指す方向で一致を見たところにあります。広島県が保全を決断した最大の理由は、国庫補助が期待出来る経済的要因にあり、市民運動の高まりなどではありません。事実、大半の広島県人は今以てこの問題には無関心、または1棟保全で十分と考えています。

 今年2月8日には国の重文指定に向けた専門家による検討会議が実施され、会長には工学院大学 (東京・新宿区) の後藤治理事長が就任しました。同氏は1988年に文化庁文化財保護部建造物課文部技官として入省。同課文化財調査官を経て99年に工学院大学工学部建築都市デザイン学科助教授となり、2017年から理事長を務める歴史的建造物修復のプロ中のプロと云って良いでしょう。こうした本格的な布陣を見ても、県と国との間で被服支廠倉庫の重文指定が内々ながらも一定の合意を得られ、すでに実務的な作業に入っていることがわかります。

 

 一方で今回の決定は、被服支廠倉庫を“負の遺産”として凍結保存する方針が定まったことをも意味します。国の重文指定を目指すことで地元民間企業の活力を導入し、官民一体となって広島県人の手でこの建造物を”正の遺産”として再利用する、被爆の実相を継承しながらも広島の新たなアイデンティティを構築する余地はほぼ無くなったと云って良いでしょう。

 詳細は前回の連載㉚ (昨年7月4日付)に綴りましたが、同倉庫の利活用法は他の重文の例を見ても「博物館、ホテル、イベントスペース、eスポーツ施設、アーバンスポーツ施設、会議室等、平和の発信の場など」に限定されるのは明らかです。よって被服支廠倉庫は先々、地域住民の集会場または地元アーティストの作品展示場といった極めてローカルな用途に留まることとなります (ストレージ・ファシリティとしての活用に徹するのであれば一案はありますが、それはまたの機会に譲ります)

それ自体に意味がないとは云いませんが、これら用途には残念ながら国内外から広島を訪れる約1,427万4,000人(2019年度) もの入込観光客を惹きつけるだけの集客力は見込めません。また、こうした凡百な施設であれば、県または市が広島平和記念公園に集中している来訪者を南区へ誘導する新たな交通網並びに駐車場を整備し、利便性を高める施策を打ち出すこともないでしょう (現在、広島南警察署の移転工事が進められている被服支廠倉庫の北端にある県有地が駐車場には最も適したスペースでした)。よって地域経済の活性化に寄与することは期待出来ません。

   加えて、同・倉庫の管理・運営は今後、地方自治法(昭和22年 法律第六十七号)に則り、「指定管理業者」に委ねられることになるものと予想されますが、まったくキャシュフローを産み出さないどころか、新たな経費負担を強いられる同・施設の所有権は県と市の間で押しつけ合うこととなり、調整は困難を極めるものと思われます。

 

国の重要文化財の中でも被服支廠倉庫と来歴が近しい石川県立歴史博物館。元・金沢陸軍兵器支廠第5〜7兵器庫であった赤レンガ建物に、1986年にオープンしましたが来館者数は174,753人に過ぎません(2018年度)。

 

   そもそも、被服支廠倉庫が国の重文に指定されるか否かは未だ不透明な状態です。広島市民にとっては馴染み深い旧・日本銀行広島支店は、2000年5月に開かれた日本銀行政策委員会において、同支店の土地及び建物は広島市へ無償譲渡される方針が定められました。

但し、この土地・建物が国の重文に指定されることが付帯条件とされたため、同年7月に同支店が『広島市文化財保護条例』に基づく広島市指定重要有形文化財に指定されたことを受け、現在に至るまで暫定的な無償貸与といった形が取られています。そのため同市は重文指定基準を満たすべく保存修理に向けた事前調査を進めていますが、未だに目処が立っていないどころか1950年代の姿への復原改修工事の入札不調が続き今年3月、漸く5度目の入札で大手ゼネコン清水建設が施工業者に決まるほどの不人気振りです(来年3月31日まで休館中)。

同じく被爆建物の広島大学旧理学部1号館も然り。1991年に閉鎖されて以降、”野晒し”状態だったものが2020年6月に策定された「第6次広島市基本計画」により、30年余りを経て「知の拠点の核となるゾーン」と位置づけられたものの、基本計画は今も宙に浮いたままです (広島市立大学の広島平和研究所及び広島大学の平和センターの同館への移転方針は決定)。

 

被服支廠倉庫の耐震化工事は、来年4月から順次着手される予定ですが (概算工事費約5億8,000万円/棟)、完了後も重文指定に必要とされる学術調査を行う必要があります。これらが整備され重文に申請するまでには3年、5年、もしくはそれ以上の歳月を要します。その後、晴れて新たな利活用法に沿って工事が行われるわけですが、その間、被服支廠倉庫はまったく使用されることなく放置されこととなります。こうした長期にわたるモラトリアムの間に例えば、台風や大雨によって一部が崩壊・倒壊するような事態が生じれば、周辺住民がら保全反対の声が上がってもおかしくはありません。それでなくとも毎年、数億円は下らない維持費が生じるため、市民から「1棟保全で十分ではないか」といった議論が今後再燃することも容易に考えられます。

 

被服支廠倉庫の保全を主張していた県民は、これで一段落と安堵している節が窺えますが、実のところ4棟の保全は決定事項ではなく、いつでも県が当初提示していた「1棟保全2棟解体・撤去」に差し戻される可能性を秘めています。これからが正念場であるにも関わらず、明確な”民意”は形成されておらず、県民からは何ら有効な利活用法を提案する動きも見られない。広島市中央図書館の移転問題も同じくですが広島はまた、都市再生の大きなチャンスを逃すこととなりそうです。