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炎天下の広島・流川。スナック『よいこ』には、河井組の若衆らが人目を忍んで参集していた。親分のみならず姐さんまでもがしょっ引かれ、学も知もない彼らの顔には焦りの色が滲む。

 

巾着切りの金太郎「わしら、これからどないすりゃあええんじゃ

鉄砲玉の銀次「こうなったからにゃあ盃を突っ返して、とっとと腐れ外道から足を洗うことじゃ」

巾着切りの金太郎「あんりま〜、兄貴はそげなこと考えちゃったんか」

鉄砲玉の銀次「当たり前田のクラッカーじゃ。これ以上、ここにおっても目は出んけぇ。克つか行くかしかなかろう」

タタキの三助「さすがは兄貴、うまいこというのぉ〜。ほじゃけぇ、わしらぁ、素人衆を脅して銭を巻き上げたり、スケのケツを追っかけたり、博打しか打っとらんけぇ、何も出来んじゃろう」

鉄砲玉の銀次「お好み焼きじゃ!

巾着切りの金太郎「お好み焼き?

鉄砲玉の銀次「そうじゃ、一銭洋食屋をやるんじゃ」

 

それからというもの河井組の面々は、暑い最中にも関わらず長袖で紋紋を隠し、パンチパーマを七三分けに変え、お好み焼き屋『握りこぶし』で修行に励んだ。

大将「おい、銀次。小指がなけりゃあ、うまい具合にヘラも返せんじゃろう。シャバってぇのはな、お前さんらが生きづらいように出来とるんじゃ」

鉄砲玉の銀次「おじき

大将「その、おじきはやめぇや。あんたぁ、腰が据わっとるけん、お天道様の下は歩けんが、これからは人の道を外さんで生きていかにゃあいけんよ」

鉄砲玉の銀次「お、おじきぃ()

 

数年後、銀次らは晴れて独立。『銀玉』を紙屋町に開店する。当初は閑古鳥しか暖簾をくぐろうとはしなかったが、やがて金粉を散らした「河井焼」が評判を取り、黒い長袖ユニフォームに七三分けといったスタイルも話題を呼び一躍人気店に。店舗も次々と拡大し、何と東京・永田町にも支店を出すほどになった。

客がごった返す夕食時、殊の外、人相の悪い一団が入って来る。鉄板越しにチラッと見咎めた銀次。

「お客さん、席がもうのうなってしもうたんで帰ってくれや」

安倍の親分「個室は空いとろぅが」

鉄砲玉の銀次「いや。あんたの席はない云うとるんじゃ」

安倍の親分「何じゃとこの馬の小便が何云いくさる。わしを誰やと思うとる!

鉄砲玉の銀次「馬の小便云うなら、ほんまもんの小便飲ましたろうか。あの時、サツにチンコロしたんはおんどれか」

安倍の親分「そがな昔のこと、誰が知るかい。そこらのボンクラのやることまで、責任取りゃあせんよ。広島風お好み焼き屋風情が何を云うんなら」

鉄砲玉の銀次「気ぃつけて物云いや。広島極道はイモかも知れんが、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで」

安倍の親分「はぁ?」

鉄砲玉の銀次「あんたいう人は、欲しいものはどがいにしても取る人じゃ思うとったんよ。兄弟分のあんたが格好つけにゃあならんのじゃないですか」

安倍の親分「おんどれ吐いたツバ、呑まんとけよ!」

鉄砲玉の銀次「安倍さん、弾はまだ残っとるがよぉ」

 

その後、銀次の姿を薬研堀のストリップ劇場『広島第一劇場』で見かけたとの噂も流れたが、その行方を知る者はいない。仁義が、未だ辛うじて生きていた古き良き時代のエピソードである(嘘)。

 

【注釈】映画『仁義なき戦い』シリーズから幾つかセリフを引用させて頂いたため、一部に不適切と思われる表現が含まれています。これは広島もんのメンタリティ、いや時代背景や内容を正確に表現しようとする意図に基づくものであり、ある特定の団体及び個人の方に対する攻撃や差別を意図するものではございません。予めご了承下さい。また、誤った広島弁があればご指摘下さい。