年端月ってぇぐらいですから、花の大江戸の八丁堀と云えども、寒さがきゅきゅっと骨身に滲みる頃合いでございます。そんな中、鉄砲洲稲荷橋湊神社にお参りを済ませた見栄っ張りの抜け作と、しゃくりあげる(おだてる)だけが取り柄の唐変木が、今宵もまた飽きもせずにつるんでおりました。
抜け作「てぇ〜。今夜は一段と冷え込むじゃあねえか。腹も来たことだし、ちょいと暖けぇ蕎麦でも啜って行くか」
唐変木「そいつぁいい。おうっと、噂をすれば何とやら。その角に『菅笠屋』ってぇ看板が見えるじゃござんせんか。こいつぁ、初春から縁起がいいや」
懐手でいそいそと、夜鳴き蕎麦に駆け込むふたり。
抜け作「おや。誰もいねぇのかい」
唐変木「確かに、もぬけの…」
すると、しゃがんでいた親爺がおもむろに、ぬおっとばかりに陰気な顔を覗かせる。
抜け作「おおっと! 驚かせてくれるじゃねぇか。居るなら居るって云いやがれ。たくっ! 熱燗だ、熱燗。でもってモリをくれ」
唐変木「モリって…、暖まるんじゃなかったんですか」
抜け作「馬鹿野郎っ! 江戸っ子ってぇのはな、モリに熱燗をこうさぁっとかけてだな。ツルッといくのが粋ってぇもんだ」
唐変木「はぁ。そんなもんですかねぇ…。でも…あっしはカケにしときます」
抜け作「意気地がねぇな。だからてめぇは、うてん通(半可通)だってんだよ」
唐変木「悪ぅございました。どうせあっしは川向こうで生まれた郷在者(ごうぜえもん)でござんすから」
抜け作「ふん。しっかし何だな。流行り病のせいで、この界隈も人っ子ひとり歩いちゃいねぇな」
唐変木「ほんに。夜鷹もいやしませんからね。これじゃあ商売あがったりでさぁね」
抜け作「そう云えばこの親爺、辛気くさい顔しくさって、さっきからひと言もしゃべらねぇな。やっぱり景気が悪いんだろうな」
唐変木「でしょうね。見たところ職人気質ってほど手慣れた様子でもないし…。大概、職にあぶれて担ぎ屋台を始めたんでしょうよ」
抜け作「おい、親爺。おめぇさん、蕎麦屋の前は何をやっていたんだい?」
唐変木「は? 番頭だって? おやおや。若旦那が放蕩の限りを尽くして、身上を潰したって。そりゃ災難だったなぁ」
抜け作「ほう。で、どこでモリカケを習ったんだい?」
唐変木「何? 説明出来ることと出来ないことがあるって? イケすけない野郎だな、おい」
抜け作「あちゃちゃ。この蕎麦もやけに硬ぇじゃねえか!」
唐変木「つなぎがねぇそうですぜ」
抜け作「何だと? ふざけんな! てめぇ、何て名だ?」
『菅笠屋』の親爺「へぇ。”二八” (にはち) の心棒が一本足んねぇ、一八 (いっぱち) でござんす」
おうっと。おあとがよろしいようで。
【注釈】 「一八」は、古典落語に登場する代表的な幇間の名前(多くの噺ではパトロンのいない”野幇間”として描かれています)。無粋な旦那に無理難題を押しつけられ、右往左往する情けない様が笑いを誘います。