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  私はこれまで、「難解なテーマ」を「平明に解き明かす」、または「ありきたりのテーマ」の「誰も知らない深層に迫る」をモットーに取材・執筆活動を続けて来ました。難解なテーマを小難しく論じるのは学者に任せておけば良い。ありきたりのテーマをそのまま伝えるのであれば、敢えて私が取り組む必要などないからです。そのため(それだけが理由ではないでしょうが) 雑誌媒体を中心に執筆していた当時は、なかなか編集者に企画意図が理解されないケースがありました。

 

  報道も同じくです。日本国内では大騒ぎしている事件であっても、外国人にはまったく響かない。逆も真なりで、日本では誰も見向きもしない出来事でも、海外では十分に需要があるといったニュースも少なからずあります。今まで日米両国の情報を扱って来ただけに、そうした認識の「ズレ」は嫌と云うほど見聞きして来ました。デジタル音痴の私が、SNSを始めようと思い立った理由のひとつが、こうした情報共有の欠如を補う双方向ツール (Independent Interactive Media) を身につけたかったからに他なりません。

 

   例えば、私が被爆者のお話を伺うとします。それだけでは、日本のマスメディアは決して取り上げようとはしません。なぜならば、それは彼らにとって、これまで報じられて来た数多くの被爆証言のひとつに過ぎないからです。甚だ不謹慎な言い方にはなりますが「新鮮味がない」。今後、彼らがこぞって飛びつくとすれば悲しいかな、それは”ご存命中の最後の被爆者”に対してでしょう。

 

マスメディアの一員として、私もそのようなスタンスは理解出来ます。しかしながら、仮に私が英語ベースのSNSで、被爆者の体験談を発信したとすればどうでしょう。海外の殆どのSNSユーザーにとっては、生まれて初めて聞き知る被爆体験です(残念ながら、被爆の実相に関する知識を有する外国人は、現実的にはほんのひと握りのエリート層に限られます)。

また、第一線で活躍している欧米のジャーナリストも、いわゆる”原爆神話”、原爆投下が太平洋戦争を早期に終結させ、多数の人命を救ったとする言説さえ、すでに知識でしか知らない世代となっています。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞し、核兵器禁止条約が発効する”現在”に生きる彼らは、過去の”常識”に囚われることなく原爆被害と向き合う可能性を秘めています。もちろん、被爆体験談だけを伝える古色蒼然としたストレート・ニュースでは、欧米メディアの関心を惹きつけることは難しい。そこには一定の”仕掛け”が必要となります。

 

この約2年間、私なりにSNSの特性を検証して来ました。もう少しプロトコルは整えなければなりませんが、ゆるりと、のんびりとテイクオフしてみようと思います。まずは、小さな一歩から。