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「投票」は、主権者である私たち日本国民が有する大切な「権利」です。日本国という国家を愛し、議会制民主主義を尊ぶ者は、何人たりとも万難を排して一票を投じるべき性質のものです。一票を軽んじたがために一命を、ひいては一国を失った例は古今東西、枚挙に暇がありません。

特に、今回の第49回 衆議院議員総選挙は、ポスト・コロナの時代を迎え、我が国の政治・経済・社会体制の新たな方向性を見定める極めて重要な選択となります。各党の政策をしっかり吟味し、各立候補者の”質”を見極め、責任ある一票を投じたいところです。

 

   ただ、選挙戦が佳境を迎えると、「投票率が上がれば、世の中は変わる」といった何ともナイーヴな言説が飛び交うのもまた、この国特有の風物詩と云って良いでしょう。そもそも政党支持率というものは、組織票をベースに積算される「基礎票」に過ぎず、これに該当しない有権者は十把一絡げに「浮動票」として分類されます。革新勢力は、これら”無党派層”の投票行動が雌雄を決すると頻りに訴えますが、世の中、事ほど左様に単純ではありません。第一、”無党派層”がアンチ与党だと誰が決めたのでしょう。その大半は、単に政治に「無関心」な現状容認型の保守層と見做すのが順当です。よって投票率が上がったからと云って、必ずしも革新勢力が躍進するとは限らない。寧ろ、野党共闘に危機感を抱いた保守層が投票行動に転じる可能性の方が遙かに高いと云えます(認識論的民主主義の根拠とされる集合知が、必ずしも正当に民意を反映するとは限らないということです)。

 

   また、「投票率」の低さも選挙の度に取り沙汰されます。これは深刻な問題です。多数決においては、集団サイズが大きくなるにつれ正答率が高まることは統計学的に実証されています。しかしながら一方では、驚くことに政治学者の中にさえ、他国の投票率の高さを引き合いに出し、我が国の政治的 ”後進性” を指弾する輩がいます。彼らが屡々例に挙げるのがオーストラリア連邦です。確かに民主主義・選挙支援国際研究所 (The International Institute for Democracy and Electoral Assistance)の調べによると、同国の連邦議会議員総選挙における投票率は 91.89% (2019年)で世界一となっています。一方、我が国は2014年の衆議院選挙で戦後最低の52.66% (小選挙区)、52.65% (比例代表)といった不名誉な記録を打ち立てています。

 

ではなぜオーストラリア連邦の投票率がこれほどまでに高いのか。国民の政治意識が殊の外高いのか。残念ながらそうではありません。同国では、18歳以上の有権者の投票が義務化されています。1924年に導入された義務投票制 (Compulsory Voting)よって、正当な理由なくして投票を行わなかった者には、20〜50オーストラリア・ドル (約1,700〜4,300円)の罰金が科せられます (Commonwealth Electoral Act 1924 No. 10)。選挙制度の違いを無視した”有識者”の、このような国際感覚の絶望的な欠如こそが、”変革”を妨げて来たことに好い加減気づくべきでしょう。

 

ならば我が国もオーストラリア連邦のように”義務投票制”を導入すればいいではないか、とこれまた思慮の足りない暴言を軽々に吐く法学者までいることに驚かされます (罰則を適用している国は、同国のみならずベルギー王国やスイス連邦、シンガポール共和国、ウルグアイ東方共和国などがあります。ベルギー王国に至っては、15年間に4回以上棄権すれば選挙権が10年間停止されてしまいます)。

一から説明するのもどうかと思われますが、これは出来ない。いや、決して導入してはならない制度です。なぜか? と疑問に思われた”有識者”はまずもって日本国憲法を精読することをお薦めします。日本国憲法の第十五条では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められていますが、続く第四項には「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」といった条文があります。

これは、「誰に投票しようがその是非は問われない」といった条項ですが、広義に捉えれば、投票するかしないかの選択も、国民の個人裁量に委ねられる、とも受け取れます。日本国憲法特有の抽象的な表現ですが、”義務(強制)投票制”を導入するためには、当然のことながら憲法を改正し、”権利”を”義務”に書き換えなければなりません。これは到底出来ない相談です。つまり現状において”義務(強制)投票制”は、憲法違反以外の何物でもありません。

 

こうした条項からも我々は戦後、欧州流ではなく、米国流民主主義の理念を継承し、個人(citizen)の意志を最大限に尊重して来たことがわかります。幸運なことにも私たちには、何の制約もなく、自由に国民の代表である国会議員や地方議員を選択する「権利」が与えられています。こうした尊い投票権を誰にも指示されることなく、個々の意志によって行使してこそ民主主義は達成出来ます。まずは私たちが手にしている一票から、投票所に一歩踏み出すことからすべては始まります。

 

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