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この国の行く末を占う第49回 衆議院議員総選挙は、蓋を開けてみれば自民党が国会の安定運営に必要な絶対安定多数を単独で確保し、与党の圧勝に終わりました。結果的に、自民党と立憲民主党に対する”不満票”を、日本維新の会(第3党に躍進)が丸ごと吸い上げる形となったわけです。私が投票前日にこのブログで予想した通り、”浮動票”の大勢を占める保守層(サイレント・マジョリティ)が重い腰を上げたとも云えるでしょう。総体的に、幾つかの選挙区を除けば付け焼き刃の”野党共闘”は殆ど機能せず、”野合”の謗りは免れないでしょう。そもそも半世紀以上にもわたり思想信条を異にしていたどころか敵対していた政党同士が高々1、2年で大同団結出来る、と考えるのはほんのひと握りのおめでたい人々だけです。

 

どこに原因があったのかと云えば、今年9月12日のフェイスブックでも呟いた通り、「野党4党の支持率は掻き集めたところで1割にも満たず。この9年間、君たちは一体何をやっていたのだ?」に尽きます。立憲民主党は、野党第一党と云えども「政権交代」などといった大言壮語を唱える前に、民主党政権時代の失敗から真摯に学び、地道な啓蒙・広報活動を展開すべきでした(こうしたキャッチフレーズを安易に煽り立てたマスメディアや知識人にも責任の一端はあります)。

国会議員レベルではなく、都道府県知事や市町村の首長の実態を見れば明らかでしょう。なぜ、立憲民主党は独自候補を立てないのか。外堀を丹念に埋めなければ、天守閣は落とせません。「地方の時代」と声高に叫びながらも実のところ、まったく意に介していなかったのは与党だけではなかったということです(その点、政治信条、政策の善し悪しはさて置き、日本維新の会は戦略的に「大阪」にのみこだわり続け、全国区への橋頭堡を築きました)。

 

どうやらこの国の政治家そして国民は戦後、米国から”授かった”議会制民主主義の根幹を理解していないようです。米国の場合は、初代大統領ジョージ・ワシントンからして連邦政府をまったく信用してはいませんでした。連邦政府なんぞは人民を欺き、虐げ、腐敗の温床になるものだといった性悪説を前提に、人民を権力の暴政から守るために米国憲法は書き上げられています。あれほど広大かつ強大な国家でありながらも、連邦政府よりは州政府、さらには郡、市。もっと云えばタウン・ミーティングに重きが置かれているのはこうした理由からです。

 

人民に近い組織が、最も正しい。政を司る者は、地域社会との信頼関係を丁寧に積み重ねることによってのみ、大衆(マス)にも説得力と訴求力を備えた政策を練り上げることが出来る。真正面から胸を張ってアピールするだけの胆力も鍛え上げられるというものです。SNSを始めとする”飛び道具”は、確かに「やった気」にさせてはくれますが、インターネット投票が採用されていない現時点においては、実際の投票行動にさしたる影響を与えるものではありません(インターネット投票が実施されればされたでまた、革新系にはさらに厳しい状況が待ち受けているでしょう)。

 

 

あと10年かかるかも知れません。いや、それ以上の歳月を要するかも知れない。それでも真の”変革”を望むのであれば、立憲民主党 (または再び分裂するのであればその新党)には「ええ格好」をすることなく原点に立ち戻り、地に足の着いた政治活動を行ってもらいたい。どこぞの地方球団の如く、目先の勝ち負けにはこだわらず、腹を括り、じっくりしっかり生え抜きを育成して行くことでしか活路は見出せません。まずは市議、村議が市民と車座になって語り合い、民意の在処をピンポイントで探ることでしょう。観念論をいくら唱えたところで、リアルな生活を営む人々の心を捕らえることは出来ません。書を捨てよ、町へ出よう。

 

日本は今、大きな過渡期に差し掛かっています。危機的状況が迫りつつあります。それは、与党の失政のせいだけではありません。対抗軸としての野党が、国民の信頼を得るだけの器ではないことにも起因しています。国民の幸福を最優先に考えれば、自ずと答えは見えて来るはずです。

 

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