この国の、”平和運動家”と称するお歴々の多くはなぜ、ミャンマー連邦共和国の人々が今、この瞬間にも直面している凄惨な状況を前に、沈黙し続けているのでしょうか。常日頃から母国の政府を”独裁政権”あるいは”軍事国家”といった不正確な文言を軽々に用いて批判しているにも関わらず、民主主義が真の危機に陥り、死闘を繰り広げているミャンマーの一般市民に対しては何の関心も、シンパシーも持ち合わせていないようです。
ミャンマー国民は今、米作家ヘンリー・ディヴッド・ソローが提起し、マハトマ・ガンジー師が、マーティン・ルーサー・キング牧師が実行に移した「市民的不服従運動」(CDM: Civil Disobedience Movement)を、身を以て実践しています。軍事独裁政権によって押しつけられた「法」よりも、個人の良心と照らし合わせて正当であると確信した「道」、人道を尊び、公然と、しかしながら敢然と非暴力主義を貫き「違法行為」を続けています。職場を放棄し、デモに加わり、命と生活を賭しています。
いいですか。一般庶民に過ぎない彼らには、”平和論”を滔々と述べるほどの「学」はないかも知れません。高度なハイテク技術を駆使する「才」もないかも知れません。それでも、かつてのどこぞの国の若者たちのようにファッションでアジり倒し、角材を振り回すような”平和運動家”たちとは、そもそも志と覚悟が違います。物売りのおばちゃんや乳飲み子を抱える母親たち、国民のために奉仕したいと職を辞した(または解雇された)公務員たちが自らの、そして子どもたちの未来を憂いて、まさに素っ裸で実弾が装填された銃に真正面から立ち向かっているのです。
私には、”平和運動家”と自称・他称する人々よりも、彼らの方が何倍も、何十倍も「正義」、「民主主義」、そして「自由」の本質を理解しているように思われます(まずはミャンマーの現状をつぶさに見詰め、軍事独裁国家とは何か、から学んで下さい)。ミャンマーで出会った誇り高き人々に私は、心からのエールを送ります。
ミャンマー国軍の最高意志決定機関である国家統治評議会は今月5日、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)の議員らによってクーデター後に設立された連邦議会代表委員会(CRPH)を「憲法違反で反逆罪にあたる」とし最高刑は死刑。直接関与せずとも同調した活動を行えば禁錮 7年に処すると発表しました。ミャンマーの軍事独裁政権は、民主派の徹底的な殲滅に乗り出しています。同国の人権団体 政治犯支援協会(AAPP)によれば、治安部隊の弾圧によって死亡したデモ参加者はすでに 202名を超え(16日現在)、さらに増え続けています。最早、一刻の猶予も許されません。
この約1ヶ月間、我が国のいわゆる知識人やマスメディアの反応を見ていて、なぜこの国では”平和運動”が大衆の支持を得られないのか。その理由の一端がわかったような気がします。まずもって国際感覚が希薄であるため、この”事件”の歴史的重要性を理解していない。さらには、はっきり云いましょう。彼らに欠落しているのは人間に対する「愛情」です。偏狭な”平和主義者”たる自分に酔い痴れたければ、何も声高に叫ばずとも、鏡に向かって呟いていれば十分です。
このブログでも何度かお伝えして来たヤンゴンの独立系テレビ局『Mizzima TV』のフェイスブック(https://www.facebook.com/MizzimaDaily/) にアップされたここ数日間の写真をここではご紹介しています。軍事政権によって免許を剥奪されながらも、決死の覚悟で矢継ぎ早に市民の闘いを報道し続ける彼らのフェイスブックを是非フォロー & シェアし、ミャンマーの人々との連帯を深め、共に力を合わせて人類の宝であるCDMを守り抜きましょう。Save Lives and Democracy of Myanmar!