
1870年 (昭和3年) 生まれの齋藤隆夫は生涯、議会制民主主義堅守の姿勢を貫き通しました。
石破茂内閣総理大臣が明後日、戦後80年にかかる見解を表明すると報じられていますが、その中で俗に云う“反軍演説”に言及するとも伝えられています。戦後80年を経て、齋藤隆夫衆議院議員によるこの名演説を知る者は数少なくなりましたが、私は10年余り前にこの全文を拙著『日本人の誇りを呼び覚ます 魂のスピーチ』に収録しました。
1870年 (明治3年) 8月18日、兵庫県出石郡室埴村字中村 (現・豊岡市) の小規模農家に生まれた齋藤は苦学の末、91年に東京専門学校 (現・早稲田大学) 行政科 (第二法律科) に入学し、首席優等で卒業した後、弁護士資格を取得します。1901年 (明治34年) には後に彼が憲法学、国法学の権威となった原点とも云える『帝国憲法論』を自費で書き上げ、「光と真実 (Lux et Veritas)」をモットーに掲げる米エール大学法科大学院へと旅立ちました。
英国型立憲君主制下における議院内閣制を理想としていた彼は12年 (明治45年)、学究生活には飽き足らず、これを実践すべく政界進出を決意。5月に行われた第11回衆議院総選挙に出馬し、最下位ながらも見事初当選を果たします。
二・二六事件を境に、我が国は破滅の道を歩み始めます。1937年 (昭和12年) 7月には盧溝橋事件をきっかけとして支那事変が勃発。日中戦争が泥沼化の様相を呈していた40年 (昭和15年) 2月2日に齋藤隆夫は第75回 帝国議会の壇上に立ち、歴史的な『支那事変処理に関する質問演説』 (反軍演説) を行いました。齋藤は冒頭「世界の歴史は全く戦争の歴史である」と論じ、
「現在世界の歴史から、戦争を取り除いたならば、残る何物があるか。そうして一たび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾 力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する。これが戦争である」と、正義が不正義を征するのが”戦争”の本質であるといった妄論を一刀両断に切り捨てました。
「この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を摑むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」
シビリアン・コントロールの最期の砦、政党政治の最期の良心ともなったこの名演説は、米誌『オリエンタル・アフェア』 (3月号) にも「日本のマーク・アントニー」として取り上げられるほどの反響を呼びました。マルクス・アントニウス (アントニー) は、ローマ帝政の基礎を築いたユリウス・カエサルが暗殺された後、レトリックによって民衆を惹きつけた著名な雄弁家です。
ところがこの演説を聞いた軍部は「聖戦を冒涜する非国民的な演説だ」と激昂し急遽、懲罰委員会を開きますが齋藤は、その懲罰理由を次々と、鮮やかに論破して見せます。所属していた民政党は事態の収拾を図るため、彼に議員辞職を勧めますが、当然のことながら齋藤はこれを断固拒否。3月7日には衆議院議員除名動議が提出され、傍聴人を退出させた上で決議が行われましたが、結果は3分の1の議員が棄権し、勇気ある反対票は僅か7票に過ぎませんでした。この齋藤の議員除名を契機として、議会制民主主義は麻痺状態に陥り、我が国は一気に戦争への道をひた走ることとなります。

1940年3月7日、衆議院議員を除名された齋藤隆夫の氏名標が議席から取り除かれました。
この”反軍演説”は、民政党の小山松寿衆議院議長によって演説の3分の2が速記録から削除されましたが現在、自由民主党が全文を復活させる方向で検討を進めています (不適切な発言などを理由に国会の議事録から削除された箇所を元に戻した例はこれまで一度もありません)。
石破総理大臣は、2015年 (平成27年) に閣議決定した安倍晋三総理談話を評価しつつも (この70年談話は、なるほど良く練られた文章で、私も一定の評価を与えています) 戦前、政治家が軍部の暴走を抑えられなかった点を検証し、戦後発足した自衛隊を巡るシビリアン・コントロールの在り方も再考する内容にすると語っています。
そもそも政党政治の腐敗が軍の増長を促し、五・一五事件によって犬養毅内閣が武力により倒されたことで我が国の政党政治は終焉を迎えます。やがて二・二六事件を経て軍部大臣現役武官制が導入され、軍部が国家権力を掌握する体制が整う。齋藤が反軍演説を行った年の10月12日には首相官邸大ホールにおいて大政翼賛会の発会式が挙行され翌年、日本は太平洋戦争へと突入します。
軍部の発言力が強大化していたとは云え、曲がりなりにも議会制民主主義を標榜していた時代、文民統制が正しく機能し、世界恐慌によって疲弊した経済の建て直しに成功していたならば、我が国が破滅の道を辿ることはなかったかも知れない。少なくとも最悪の事態は回避出来たであろうといった認識、一国の長としての反省の念が石破総理大臣にはあるのでしょう。
幸いにも我々は現在”軍隊”を擁してはいません。しかしながら齋藤が論じたように「世界の歴史は全く戦争の歴史である」ならば、国民は常に国会議員を監視し、議員は国民の生命と財産を守るべく”馬車馬の如く”粉骨砕身しなければならない。齋藤の命を賭した演説をどのように捉え、受け止めるか。今、改めて我々の知性と叡知が試されています。
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取材に2年余りを費やした本作は、名演説と云えばジョン・ F・ケネディやバラク・オバマ米大統領といった欧米一辺倒の風潮に抗うべく、明治以降、この国の歴史を動かし、国民の魂を揺さぶった日本人による、日本人のための、日本人の名演説を精選。原文を収録し (詳細は写真をご覧下さい) 歴史的、社会的背景を綴った本邦初のスピーチ論考集です。















































