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   私が、宇宙開発に興味を抱いたきっかけは、”アメリカの伯父さん”にありました。”ジェリー”ことジェラルド・A・ソフィン博士(Dr. Gerald A. Soffen)。父のかつての同僚であった彼は、私が留学していた当時は米航空宇宙局(NASA) のチーフ・サイエンティストを経て、同局のゴダード・スペース・センター(メリーランド州)で ”地球惑星計画”(Mission to Planet Earth) の統括責任者を務めていました。後年、ジェリーは宇宙全体の生命体について考察し、生命の起源を明らかにする宇宙生物学(Astrobiology) のオーソリティーとして多大な功績を残しています。

とは云え、私にとっては赤子の頃から知る親戚の伯父さんのような間柄であり、留学先のフィラデルフィアと彼のラボラトリーがあったワシントンD.C.とはさほど遠くなかったことから、何かと云えば相談に立ち寄っていました。

 

   大学時代の私とジェリー。

 

   これまでの人生で、幸運なことにも何名かの”天才”と呼べる人々と出会うことが出来ました。ジェリーも、紛うことなきそのひとりでした。自然科学については言わずもがな、あらゆる事象、学問について尋ねると、瞬時に的確な回答が跳ね返って来ました。

それだけではなく、私の愚にもつかない質問に触発され、様々な知見も披瀝してくれました。ある時など「それはいい質問だ」と云ったきり、私の質問とはまったく異なる方向へと思索の翼を縦横無尽に拡げ、「このアイデアはいいね!」とひとりご満悦。云うまでもなく、質問者の私には何が何だかさっばりわからなかったことも一度や二度ではありませんでした。

 

   ある日、彼がハンドルを握ったホンダのアコードで D.C.市街を移動していた時のことです。ジェリーが「お前の尊敬する人物は誰だ?」と尋ねます。私が口籠もっていると、せっかちな彼は「僕は、アインシュタインだよ」と即座に応じました(今にして思えば、全米から選りすぐりのエリートたちが集結していた当時のNASAでは、数秒以内に自らの考えを論じるのが当たり前で、私のようなでくの坊の扱いに彼は慣れていなかったようです)。

  「ほら、彼はここにいるよ」と車を、国立科学アカデミーの前に寄せると、ベンチに腰掛けた12フィートもある大きな座像を見せてくれました。一般相対性理論やエネルギーと物質の等価性を表した方程式が書かれた書類を手にした20世紀最大の”天才”、アインシュタインのモニュメントです。

 

   アインシュタイン像に腰掛けるジェリー。

 

   私は、(これでも高校時代は理系専攻でした) 結果的にサイエンスよりも、コンティテューション・アベニューを挟んでアインシュタイン像の向かい側にあるベトナム戦争戦没者慰霊碑 (Vietnam Veterans Memorial)の方に強く惹かれたようです。その後、ジャーナリストとして宇宙開発や環境問題の取材でNASAには幾度となくお世話になりましたが結局、「宇宙」を専門分野とすることはありませんでした。ただ、今にして思えば、「オリジナルな発想を心掛ける」といった私の作家としてのモットーは、彼のレッスンの賜物だったようです。

   ジェリーがこの世を去ってから、早いもので20年もの歳月が経過しました。彼は今も天国で、私のような凡人には理解不可能な議論を、敬愛するアインシュタインと喜々として戦わせていることでしょう。Requiescat in Pace. 合掌。