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   怒りと哀しみで、涙が止まりません。ミャンマー連邦共和国では先月1日の国軍によるクーデター以降、治安部隊の弾圧により多数の一般市民が殺傷されています(現時点で確認されている死者は少なくとも55名)。今月3日には、同国第二の都市マンダレー(Mandalay)でデモに参加していた19歳のカイアル・シンさん(Kyal Sin 中国名 Deng Jia Xi) が、警察官に頭部を撃たれて亡くなっています。

 

私が、タイ王国西北部のジャングルから国境を越え、未だビルマ連邦社会主義共和国と称されていた同国に潜入し、少数民族であるモン族の反政府ゲリラと面会したのは1987年のことでした(詳細は、一昨年12月22日の投稿をご覧下さい)。当時は、ネ・ウィンが初代議長を務めたビルマ社会主義計画党(BSPP)の軍事独裁政権下にあり、カレン民族解放軍やカチン独立軍などビルマ族に反旗を翻す少数民族たちが山間部を中心に戦闘を繰り広げていました。国民民主連盟(NLD)が結成され、民主化運動が高揚していた時代です。

その後、2010年の総選挙により名目上は文民政権が発足したものの、国軍の反対と憲法の規定によりアウン・サン・スーチーNLD党首の大統領就任は拒まれ、ミン・アウン・フライン国軍総司令官率いる今回の軍事クーデターが引き起こされました。

 

太平洋戦争後、同国は常に内戦に明け暮れていたと云っても過言ではありません。しかしながら、死守すべき国民に銃口を向ける軍隊など、国軍とは呼べません。かつて英軍、日本軍に対して敢然と戦いを挑んだ国軍の誇りは、一体どこへ行ってしまったのでしょう。

わずか19歳の少女です。引き金を引いた警察官も、おそらく同年代の若者でしょう。混迷を極める同国の将来を背負って立つ若者たちを、地獄へ引きずり込んではならない。同じアジア人のひとりとして、私はミャンマー国軍による一般市民に対する弾圧、武力行使の即時中止を強く求めます。Peace and Justice for Myanmar!

 

「国民の目は、節穴ではありません。忍耐力と希望が彼らの、両の目を見開かせています」 (Their faith in our cause is not blind; it is based on a clear- eyed assessment of their own powers of endurance and a profound respect for the aspirations of our people.)とアウン・サン・スーチー党首は、ノーベル平和賞の受賞スピーチで述べました(2012年6月16日)。

テコンドーのチャンピオンであり、地元のDA-Star Dance Clubで歌手・ダンサーとしても活躍し、”エンジェル”のニックネームで親しまれていたシンさんは、昨年11月に実施された総選挙の折、フェイスブックに、

「私の人生で初めて、責任ある一市民として、心を込めて一票を投じました」と、純真な愛国心を綴っていました。

 

国軍の横暴を看過することが出来ず、民主化を求めて多くの仲間たちと共に起ち上がった彼女が、デモに参加する際に持参していた血液型が記されたカードの裏には、

「もしも私が怪我をして、完治が見込めないようであれば、どうか私を助けないで下さい。まだ使える私の身体を、誰か必要とするひとに差し上げて下さい」と、力強い筆致で書かれていました。天使、逝く。Angel Forever. 合掌。

 

今月3日、マンダレーにおけるデモに参加し、射殺される直前のカイアル・シンさんの姿が捉えられています。この日、同市内だけでも18名が警察官の兇弾に斃れました。R.I.P.

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