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   国歌は、殆どの国で敬慕の対象となっています。国民が命を賭して勝ち取った「独立」と「主権」に敬意を表すシンボルが国歌であり国旗であるからに他なりません。今月28日、千葉県・フクダ電子アリーナにおいてFIFAワールドカップ カタール大会2次予選(グループF)が行われ、日本代表はミャンマー連邦共和国代表と対戦しました。

  テレビ観戦された方も多かったものと思われますが、キックオフ前の国歌斉唱時、ミャンマー代表の控え選手のひとりが、国軍の市民に対する武力弾圧に抗議の意を表す3本の指を立て、微動だにせず真っ直ぐ前を見詰めていました(同選手の身の安全を考え、ここでは氏名と所属チーム名は伏せます)。また、他の選手たちも国歌を口ずさむことなく、目線を下に落としていました。沈黙の抵抗。この姿を見て、私は溢れ出る涙を抑えることが出来ませんでした。

 

  というのも私は、世界各国で国歌というものがどれほど大切にされているかを、身を以て知っているからです。同国の国歌『我々はミャンマーを愛す』(カバ・マ・チェ)は、同国を代表する作曲家ナンダシャイ・サヤ・ティンによって紡がれました。我が国が同国を占領していた当時、この曲は独立運動の象徴として民衆の間で広く歌われていました。作詞者は不明ですが歌詞は何度か変更され、独立後の1948年に晴れて国歌として制定されています。

  同国でも、独立の志士たちを讃えたこの国歌は尊敬の念を持って扱われています。その第1節は、

 

  我らは常にミャンマーを愛す

  祖先から受け継いだ国

  我らは統一のために命を賭けて闘う

  この貴い故国のために

  成すべき仕事を果たし

  忠誠を尽くそう

 

 で始まります(拙著『国のうた』より引用)。フットボールを心から愛し、厳しいトレーニングを積み、国を代表する選手にまで登り詰めた彼らの想いはいかほどのものだったでしょう。友人知人が国軍によって殺傷されたり、捕らえられた選手もいたかも知れません。本当は、民主的国家に生まれ変わった祖国の旗を胸に、国民の声援を背に、誇りを持って、思う存分戦いたかったはずです。

結果は、10対 0と大敗を喫したもののイレブンは、最後まで全力で戦い、フィールドに立ち続けました。来日前、代表に選ばれたメンバーのうち約半数が市民的不服従運動(CDM)を支持するため出場を辞退し、競泳男子50メートル自由形で標準記録を突破し代表入りが有力視されていたウィン・テット・ウー選手(オーストラリア連邦在住)もオリンピック参加は「国軍のプロパガンダに加担することになる」との理由で出場を断念しています。いずれも愛国心の発露であり、”独立のうた”を持たない我々日本人が、苦渋の選択を行った彼らを批判または揶揄する権利はどこにもありません。

 

   同国代表チームは来月11日にキルギス共和国と、15日にはタジキスタン共和国と対戦し(いずれもヤンマースタジアム長居)、帰国の途に就きます。フィールドという聖域を降りた彼らにどのような運命が待ち受けているのか…(指を立てた選手は、来日した当初から「試合が終われば帰国する」と話していたそうです)。愛国心の狭間に立たされ、翻弄された選手たち。スポーツも、決して国家と無縁ではありません。身を挺して戦った彼らは、私たちに改めて「愛国心とは何か?」を考える機会を与えてくれました。ちなみに、同国の国旗の地色に用いられている黄色は国民の団結と幸福、緑は平和と豊かな国土、赤は勇気と潔さを表していると云います。

 

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