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   一介の物書きとして昨今、気になっていることがあります。「今の日本は、あの頃と同じ道を辿っている」といった類の言い回しを、驚くことに文学者までもが好んで用いる奇妙な”現象”です。「あの頃」とは、いわずもがな我が国が日中戦争を経て、太平洋戦争へと突き進んで行った時代を指しています。発言者の大半は戦後生まれ、戦争体験を持たない人々です (80歳代半ば以上の方々を除けば、今や高齢者と云えども先の戦争は、「幼児体験」としてしか”記憶”にないことは心に留めておく必要があります)。こういった言い回しはここ数年、政府批判から憲法改正論議、オリンピック開催の是非に至るまで、ありとあらゆる局面に登場しています。15年ほど前に、小池百合子都知事が『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか著 中公文庫)を座右の書として挙げた頃に火が付いたように記憶しています。

 

   こうした空騒ぎは、為政者の不甲斐なさに起因していることは云うまでもありません。詭弁、隠蔽、改竄、朝令暮改。ヴィジョンがなければ指導力もない。党派に限らず過去数10年間にわたる失政は、数え上げれば切りがありません。しかしながら、だからと云って「あの頃」を持ち出して良いわけではない。まずもってあなたは、戦争の何を知っているというのでしょうか? 「歴史書を読めばわかる」と反論する方もいらっしゃいますが、文字情報や映像だけで当時の空気感や体感温度を知ることなど到底不可能です。自戒を込めて云えば、こうした「わかったような気になった」不遜な態度こそが害悪の最たるもので、歴史を継承する際には大きな落とし穴となります。発言者は、安易な例えが、その意図に反して読者をあらぬ方向へと導く危険性を孕んでいることを自覚すべきでしょう。

 

   我が国のみならず他国においても、為政者が唐突に軍政を敷いたり、憲法を改悪したり、宣戦布告をするわけではありません。況してやマスメディアが先陣を切って世論を扇動出来るわけでもない。こうした”茫洋たる不安感”は、当時であれば井戸端会議やクチコミ、今ではネットを通じてじわじわと拡散して行きます。すると、いつの時代にも利に聡い文化人がしゃしゃり出て、市井の人々が抱くもやもやとした得体の知れない不安感を言説化しようと企てる(イメージの具現化)。やがて”お墨付き”を与えられたマスメディアが尻馬に乗って感情論を増幅させ、さも民意の如く流布して廻る。

小説家の大佛次郎氏は、その著書『終戦日記』の中で、「『主婦の友』の最新号を見ると表紙のみか各頁毎に『アメリカ人を生かしておくな』と『米兵をぶち殺せ』と大きな活字で入れてある。(中略)我が国第一の売行のいい女の雑誌がこれで羞しくないのだろうか。日本の為にこちらが羞しいことである。珍重して後代に保存すべき一冊であろう。日露戦争の時代に於てさえ我々はこうまで低劣ではなかったのである(原文ママ)」(1944年11月18日)と、戦時下の情報統制、同調圧力を痛烈に批判しています。

これこそが「あの頃と同じ道」ではありませんか? 過度な不安感が社会心理学で云うところの恐怖訴求(fear appeal)を産み出し、結果的に「最も好ましからざる現実」へと社会を引きずり込んで行く。こうした過程でストレスを抱えた一部の人々は、やたらと自前の「正義」を振りかざし、攻撃思考を身につけて行きます。分断社会を糾弾するあなたの言動自体が、「分断」を招いていることに好い加減、気づくべきでしょう。そこのあなたも”予期不安”に苛まれていませんか? 歴史は、繰り返しているように見えて、実は変化を遂げている。それが進化なのか、それとも悪しき道へ引っ張り込む退化なのかは、井戸端会議で交わされる他愛もない”言葉”にかかっています。品性なき”言葉”に惑わされているようでは、未来を築くことなど出来やしませんよ、言論人の皆さん。

 

【脚注】 “予期不安”とは、何の前触れもなく突然、動悸や呼吸困難、吐き気といった症状が出現するパニック発作を経験し、「またあの発作が起こるのではないか」といった激しい恐怖や不安感に襲われることで、発作を繰り返す度に症状は悪化し、鬱状態に陥る可能性もあります。