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丸木位里・俊夫妻が晩年に取り組んだ全14部の大作『沖縄戦の図』より。

 

 一昨日、沖縄県糸満市で開催された沖縄全戦没者追悼式で、県内の小中高と特別支援学校の児童・生徒たちから寄せられた911点の作品の中から今年の「平和の詩」に選ばれた『こわいをしって、へいわがわかった』 を、德元穂菜さん (沖縄市立山内小学校2年)が訥々と、しかしながらしっかりと朗読されました。この透き通るように美しいことばはいつまでも、いつまでもこころに留めておきたい。なくさないように、わすれないように、そして、こわさないように。

 

 德元さんが「こわくてかなしい絵だった」と表現されたのは、画家の丸木位里・丸木俊が共同制作し、宜野湾市の佐喜眞美術館に常設展示されている連作『沖縄戦の図』です(1983〜87年)。

 丸木夫妻は、広島に原爆が投下された数日後に入市し、その惨状を目の当たりにして30年以上の歳月をかけて、15部の連作『原爆の図』を描き切ったことでも知られています。原爆の図 丸木美術館(埼玉県・東松山市)で、この「恐くて哀しい絵」を初めて観た時の衝撃を、私は今も忘れることが出来ません。

 

 沖縄と広島を繋ぐ細くて、太い糸。時に絡まり、伸びては縮み、7歳の少女の無垢なこころの中で、よんな〜と結ばれました。そう、德元さんはたった一枚の絵から「せんそう」を感じ取り、 「へいわ」の意味を知りました。さて、十分に聡明であるはずのあなたに、それが出来ますか? わかりますか?
 

『こわいをしって、へいわがわかった』


 びじゅつかんへお出かけ
 おじいちゃんや
 おばあちゃんも
 いっしょに
 みんなでお出かけ
 うれしいな

 こわくてかなしい絵だった
 たくさんの人たちがしんでいた
 小さな赤ちゃんや、おかあさん

 風ぐるまや
 チョウチョの絵もあったけど
 とてもかなしい絵だった

 おかあさんが、
 七十七年前のおきなわの絵だと言った
 ほんとうにあったことなのだ

 たくさんの人たちがしんでいて
 ガイコツもあった
 わたしとおなじ年の子どもが
 かなしそうに見ている

 こわいよ
 かなしいよ
 かわいそうだよ
 せんそうのはんたいはなに?
 へいわ?
 へいわってなに?

 きゅうにこわくなって
 おかあさんにくっついた
 あたたかくてほっとした
 これがへいわなのかな

 おねえちゃんとけんかした
 おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
 そして仲なおり
 これがへいわなのかな

 せんそうがこわいから
 へいわをつかみたい
 ずっとポケットにいれてもっておく
 ぜったいおとさないように
 なくさないように
 わすれないように
 こわいをしって、へいわがわかった

 

沖縄全戦没者追悼式で自作の『こわいをしって、へいわがわかった』 を朗読する德元穂菜さん。