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   広島市立基町高校・創造表現コースの「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトには、どのような作品が描かれているのか教えて欲しい、観てみたいといった声が多数寄せられているため、所蔵されている広島平和記念資料館の許諾を得て、過去12年間に描かれた137点もの作品群の中から数点を順次、(拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』に収録されていない作品を中心に) ここでご紹介させて頂いています。

 

『最も大切なものを』作/富士原芽依 所蔵/広島平和記念資料館 (2018年度)

被爆体験証言者の原田浩さんは、爆心地から2キロ離れた広島駅で、両親と共に被爆しました。その日、疎開先へと向かう原田さんに母は、それまで見たこともなかった美味しそうな桃を持たせてくれました。

駅舎の陰にいたため一命を取り留めた原田さんは避難する道すがら、酷い火傷を負い、皮膚がどろどろに溶け、道端にうずくまっている親子と出会いました。水が欲しいと懇願する母親は、原田さんが手にしていた桃を目ざとく見つけ、子どもたちに与えて欲しいとせがみます。しかし、当時6歳だった原田さんは日頃、食べられなかった大切な大切な桃を手放すことが出来なかったと云います。

この苦い想い出は、消えることがありませんでした。原田さんは「自分自身のことしか考えない行動が悔やまれ、今まで語ることが出来なかった」と、云います。この時、例え原田さんが桃を差し出していたとして、果たして彼は充実感を得られたでしょうか? 「本当に大切なもの」を悉く奪い去る、生き残った者をも苦しめ続ける。それが「戦争」です。

 

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