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思想信条を問わず、SNSで盛んに「発言」しておられる方々は、あまりにも「言葉」に対する感受性が乏しい。加えて語彙が少ないため畢竟、表現が直裁的となり、やたらと過激な物言いとなる。実際に会えば、往々にして礼儀正しい謙虚な方であったりするだけに、物書きを生業とする身としては、その豹変ぶりに屡々驚かされます。

 

皆さんは、SNSを未だに「大人の解放区」と思い込んではいませんか然にあらず、今や小学生にもタブレットが配られ、自由にSNSにアクセス出来る時代です。大人たちが薄汚い言葉で罵り合う様を、子供たちが読んだらどう思うことでしょうあなた自身の子供や孫が読む、と考えたことはないのでしょうか自戒を込めて云えば、私はSNS上でさえ、言葉遣いがぞんざいな人間は信用しません。「死ね!」などと殴り書きするような大人を、どうすれば子供たちが尊敬出来るというのでしょう「人間のクズ」などと他人を非難する大人になり下がりたいと子供たちは思うでしょうか口では「子供たちの未来のために!」などと、さも人格者の如く振る舞いながらも、ひと度、事が起こればその無神経さは、必ずやどこかで牙を剥くことでしょう。

 

発言を「自粛」する必要などまったくありません。しかしながら「自覚」し、「自制」すべきでしょう。SNSなんざぁ、そもそも落書きのようなものじゃねぇか」、「外野から野次を飛ばして何か悪い」と嘯く方もいらっしゃいます。果たしてそうでしょうか? (トイレの落書きとは異なり、SNSの発言は完全に消し去ることは出来ません気づいているのかいないのか。文字数制限をいいことに、図らずも皆さんが最も忌み嫌う衆愚政治の象徴たるワンフレーズ・ボリティクスと同様なことをやっておられる。イキったことを書けば一種の高揚感は得られ、一定の承認願望も満たされるでしょう。ちっぽけな池の中では賞賛されるかも知れない。しかしながら、それではひとのこころを動かすことなど出来やしない。「敵」は、そこにはいませんよ。