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   ある時期、日本の若手現代アーティストの作品を積極的に観て廻ったことがありました。元々、アートには一家言あり、米大留学時代にはArt Historyの授業を取り、フィラデルフィア美術館やMOMAに足繁く通い、ニューヨークのアーティストらとも交流するなど、アートに関し一定の理解と知識は持っているつもりでした。しかしながら残念なことに、まったくと云って良いほど心に響く作品には出会えなかった。

   特に東日本大震災後、この国の現代アーティストはいかなる作品を産み出すのか。世界に向けて発信するだけに留まらず、パブロ・ピカソの『ゲルニカ』の如く、歴史的作品として評価されるほどの傑作が愈々この国からも誕生するのだろうか。期待に胸を膨らませながら待ち続けましたが、私の知る限りでは、そのような作品は皆無でした。誤解を懼れずに云えば、「この空前絶後のチャンスを前にして、この国のアーティストは何も生み出すことが出来なかった」。

   レセプションへ行けば行ったで、いかにもアーティストでござい、といった風体の若者たちが群れ集い、やれ「あそこのギャラリーは商売が上手い」だとか、「あの作家には幾らの値段がついた」と、まるで当世流行りのベンチャー企業の若社長のような会話に熱中している。私は、絶望的な想いに駆られ、この国の現代アートというものにひとまず見切りをつけました。

 

   そんな私が出会い、衝撃を受けたのが基町高校の生徒たちが描く「次世代と描く原爆の絵」でした。高校一年または二年生で同プロジェクトに参加する彼らにとって、これらの作品は生まれて初めて手掛ける本格的な油絵です。担当教諭の橋本先生が仰る通り、「あくまでも課題のひとつ」といった位置づけであるため、決して芸術性が高いわけでも卓越した技術が凝らされているわけでもありません。

   しかしながらそのキャンバスには、被爆体験証言者たちから聞き取った”記憶”を余すところなく描き切るんだ、といった真っ直ぐな熱情と、初めて油絵を描けるといった喜びとが満ち溢れていました。原画を観れば、彼らが迷い、戸惑い、苦しみながら何度も、何度も絵の具を塗り重ねた様が見て取れます。その稚拙ながらも熱い筆致に、私は惹かれました。アートの原点を見ました。

 

   絵画と同じく文学、音楽も、芸術作品のそのひと筆、ひと筆にはいのちが宿ります。誤魔化しようがありません。いかなる値札がぶら下がっていようとも、”声”の聞こて来ない作品には一銭の価値もない。「次世代と描く原爆の絵」は、これからの時代を背負って立つ若者たちだけではなく、プロ・アマを問わずアートを志す者、アートに携わっている皆さんにも是非、観て頂きたい。怖い絵です。必ずや、あなたの両の目を曇らせている碌でもない鱗をバリバリと遠慮会釈なく剥ぎ取り、静かに問いかけることでしょう。「あなたは、本当にアーティストなのですか?」と。

 

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