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   日本人は、外国語の修得が不得手だと云われています。これは事実でしょう。ではなぜ苦手なのでしょうか? 言語学者や外国語教師、または国際情勢に詳しいとのたまう文化人らが、ああだこうだとその理由を述べ立てますが、どれもこれもいまひとつ腑に落ちない。日本語がぺらぺら話せるだけで珍重される薄っぺらい米国人タレントなどは、冗談半分とは云え、「日本人には端っから外国語を学ぶDNAが備わっていない」とまで言い放つ始末です。

私に云わせれば、外国語が苦手な国民は、世界広しと云えども米国人が最たるもの (但し、第二母語を除いて。例えばキューバ系移民の家庭では、スペイン語が話されているケースが多いため、解せると云えば解せる。ただ、これは「学習」の成果ではありません)。米国人よ、あなたにだけは云われたくない。

 

  ではなぜ日本人は、外国語を話すのが苦手なのか? その理由は明らかです。いいですか。これまで誰も指摘しなかった点です。日本人の外国語下手は、実のところその礼儀正しさに起因しています。「え? それって言語能力とはまったく関係ないじゃないですか?」と、怪訝な顔をされたあなた。よろしい。胸に手を当てて良く考えてみて下さい。

 

  ここに、ある程度、英会話に自信を持っている日本人がいたとしましょう。普段はドヤ顔で顰蹙を買っているおっちゃんであっても、これでもかと云うほど巻き舌で話したがるおしゃべりなお嬢ちゃんも、いざネイティヴ・スピーカーを前にすると、途端に黙り込んでしまう。

なぜでしょう? 恥ずかしい? その通りです。では、なぜ恥ずかしいと思ってしまうのでしょうか? それは、自分の英語力が完璧ではないことを必要以上に気にかけてしまうからです。「下手なことを云って、相手に嫌な思いをさせたらどうしよう」、「発音が悪くて通じなかったら申し訳ない」。さすがは気遣いを重んじる日本人。と云えば聞こえはいいけれども、要は”恥の思想”、自意識過剰だとも云えます。

 

   一方、他国の皆さんはどうでしょう。中国人は云うまでもなくインド人、ケニア人、ポーランド人等々。皆さん各国語訛りが酷い英語であっても、何ら恥じることなくガンガン飛ばして来ます。発音? それがどうした? 構文? 何か問題はありますか? 誰ひとりとして”米国人のように”話そうとはしません。なぜならば、彼らは世界共通言語である英語は、単なる”ツール”、道具に過ぎないと割り切っているからです。

  ここに興味深い逸話があります。ある帰国子女の日本人が出張でインドを訪れた際、取引先のインド人に、

「あなたはアメリカ人ですか?」と尋ねられたので、

「いや。日本人ですよ。この顔を見て下さい」と笑って答えたところ、

「なぜ日本人なのに、あなたはアメリカ英語を話すのですか?」と問われて答えに窮した、と云います。

 

  母語はもちろんのこと、どのような英語を話すかによっても、話者のアイデンティティが問われます。未だに「アメリカ英語はかっこいい」だとか、「英国人のような英語を話したい」と考えているのは日本人だけです。世界の人々は、それぞれの文化や風土に合わせた独自の英語を次々と生み出しています。こうして現地化した英語は、新英語 (New Englishes)、または世界諸英語 (World Englishes)と呼ばれています。”English”が複数形となっているのは、新たな英語が地域や民族によって様々な変容を遂げているからに他なりません。

 

日本語訛りを隠したり、直す必要などどこにもありません。胸を張って、「あいむ・じゃぱにーず」と言えば、世界はあなたの日本人としてのアイデンティティを尊重し、すんなり受け入れてくれます。極東のちっぽけな島にまでやって来て、「英語とは」などとご高説を垂れる酔狂な米国人の話になど耳を傾ける必要はこれっぽっちもありません。世界は、彼らが考えている以上に広く、そして奥深い。日本人であれば堂々と、ジャパニーズ・イングリッシュを話しましょう♪