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   聖夜が近づくと、つい手に取りたくなる小説があります。初めて頁をめくったのは、10歳の頃だったように思います。ロシアの文豪レフ・トルストイの短編『光あるうち光の中を歩め』は、キリスト教徒ではなくとも、生きて行く上で大切なひとしずくの潤いを、心に与えてくれる玉手箱のような作品です。

 

   ローマ皇帝トラヤヌスの治世、キリキヤ国のタルソにいた裕福な宝石商の息子ユリウスは、3人の子どもに恵まれ商売にも大成功し、愛人まで囲うなど、何不自由のない生活を謳歌していました。ところが、幾ら贅沢三昧に暮らそうが、心はどこか満たされていませんでした。一方、奴隷の子であった幼馴染みのパンフィリウスは、当時はまだ邪教として排斥されていたキリスト教徒の道を選びます。

   パンフィリウスに触発されながらも幾度となく逡巡した後、ユリウスは漸くキリスト教徒のもとに辿り着きます。しかしながら彼は、葡萄畑に”自分の居場所”を見つけられず、絶望のどん底に突き落とされてしまいます。「俺は何の役にも立たない、今となってはもう何一つできない」。すると突然、老人が姿を現し、語りかけます。「働きなさい、兄弟よ」。

「あんたは自分がやって来た以上のことができないと言って悲嘆してなさる。が、嘆きなされるな、お若いの。(中略) もしあんたがすべてのひとびとより何億倍も多くなしとげたにせよ、神の仕事全体からみれば、それは何でもありはしない。取るに足らぬ大海の一滴じゃ」。やがてユリウスは、真の心の平静を得て、「そして肉体の死が訪れたのも知らなかった」。(新潮文庫 原久一郎 訳)

   この僅か100頁余りの短編は、己を知り、内なる神と巡り会い、謙虚に生きることの大切さを教えてくれます。長いようで短い人生。考えてみれば辛いこと、悲しいことの繰り返しです。それでも、生きて行かなければならない。では、「生きること」の意味とは? 救世主を迎える今宵、穏やかな心持ちでまた、日焼けした頁をめくってみようと思います。

 

この作品の題名は、『新約聖書』のヨハネの福音書12章35〜36節から取られています。

 

   そこでイエスは彼らに言われた。「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光のある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」 (『口語訳聖書』日本聖書協会)

 

   Wishing you all joy, peace and good health this Holiday Season, Hallelujah!

 

2017年にポーランド共和国のシュチェチンで結成された女声コーラス・グループ Tulia (ツゥリア)が、何と米ヘヴィメタル・バンド メタリカの”Nothing Else Matter”(1992年)を、伝統的な歌唱法を用いた地声のユニゾンでカバーしています。ホリデー・シーズンは、神秘的な歌声に癒やされましょう♪