20210317-1.JPG
 

 

   読者の声を聞くことは、批判も含め作家にとってはこの上ない幸せです。特に、実際に作品を読んで下さり、じっくり思索を巡らせた上で綴られた感想文に相対する喜びは、何物にも代えられません。

   愛知県の岡崎市教育委員会と同市現職研修委員会 学校図書館部の皆さんは毎年、『青少年読書感想文全国コンクール』に同市から応募し、秀でていると認められた感想文をまとめた『読書感想文 読書感想画 優秀作品集』を刊行されています。

今回、第66回の課題図書〈中学校の部〉の作者として私も拙文を寄稿させて頂きましたが、新型コロナウイルス禍によって通常業務もままならない中、編纂には大変なご苦労があったものと思われます。お疲れ様でした。

 

拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』の感想文を書いて下さった市立竜南中学校一年の女子(「『平和のバトン』を読んで」)が〔愛知県優良作品〕に、市立常磐中学校三年の男子(「バトンを永遠に」)が〔岡崎市優良作品〕にそれぞれ選ばれました。また、盲学校 聾学校 特別支援学校からは、県立岡崎聾学校 中学部二年の女子が「本がくれた戦争の怖さ」と題された感想文をしたためて下さいました。

いずれも読後の感想だけに留まることなく、自分自身や家族の経験を重ね合わせた読み応えのある感想文となっていました。市立竜南中学校一年の女子は、

 

読んでいくうちに、私は、はっとしました。

「遠い昔とはいえ、ほんの七十年ほど前の話です。」という一文です。

私の中ではもっともっと昔の私たちの世代とは関わりのないことのように

感じていたからです。

 

  と綴り、陸軍兵士であった曾祖父に想いを馳せています。

 

   私が知っている人。ひいおじいちゃんは戦争を経験していたんだと、

   私にとって戦争というものが初めて自分のことのように感じ、

   怖くなりました。

 

   今を生きる中学生たちにとってあの戦争は、曾祖父母の時代であることに今更ながら驚かされますが、何作もの感想文を読ませて頂き拙著は、彼らをタイムマシンに乗せて、昭和20年8月6日に連れて行くことに、ある程度は成功したように感じられました。

   云うまでもなく旅の水先案内人は広島市立基町高校・創造表現コースの生徒たちです。ちょうど彼らのおにいちゃん、おねえちゃんにあたる高校生たちが彼らの手を引き、タイムトリップへと誘って下さいました。

 

   76年という歳月は、リアリティを持って体感するには、あまりにも長い時間です。「今の若い者は歴史を知らない。原爆の非道さをわかっていない」と、憤るのは簡単です。しかしながら、嘆く前に私たちは、果たして子どもたちの立場になってあの戦争を、被爆体験を伝えて来たのか。胸に手を当て、改めて考える必要があるでしょう。基町高校の「次世代と描く原爆の絵」は、子どもたちだけではなく私たちにも命題を突きつけ、大きな宿題を与えてくれます。「あなたは、戦争の残酷さ、平和の尊さを本当に知っているのですか」と。

 

 

このページのトピック