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一昨日、千葉県・佐倉市にある国立歴史民俗博物館を訪ねました。私が住む東京都・杉並区からはドア・トゥ・ドアで2時間余り。ちょっとした”小旅行”となりましたが、同館で現在開催中の企画展『海の帝国琉球〜八重山 宮古 奄美からみた中世』(5月9日まで)を是非とも拝見したいと思い、朝一番でJR中央線に飛び乗りました。

同展は、これまで琉球王国の視点からのみ語られて来た八重山や宮古、奄美といった周辺の島々の中世について、考古学的見地から考察した非常に意欲的な試みとなっています。ご周知の通り琉球王国は、14世紀代から海洋王国として栄え、主に明朝(後に清朝)との交易を通じて資力を蓄え15世紀になると尚氏により沖縄本島が統一されます。

 

こと琉球史ともなると、私たちの多くは薩摩藩による軍事侵攻により1609年に琉球王国が日本の支配下に置かれたところから始まります。つまり海洋国家としての栄華、そして太平洋戦争末期における沖縄戦に連なる”亡国の悲劇”として語られることが多い。

これは紛れもない事実です。しかしながら一方で琉球王国は、勢力を拡大する過程で八重山や宮古、奄美に侵攻し、これら島々の伝統や文化を葬り去ったことはあまり知られていません。文献がほとんど残されていないため、こうした周辺地域の歴史は、琉球王国によって編まれた”勝者の史観”に頼るしかなかったわけです。今回の展示は2015年に始まった考古学的分野における共同研究(中世東アジア海域における琉球の動態に関する総合的研究)に基づき、琉球の帝国的側面に改めて光を当てた極めて興味深い企画展でした。

沖縄本土在住の友人がかつて「うちなーんちゅ(沖縄の人)は、ないちゃー(本土の人)に差別された歴史があるけれども、うちなーんちゅも、いぇーまんちゅ(八重山の人)を蔑んで来た」と、云っていたのを想い出しました。人間とは悲しい生き物で、弱き者はさらに弱き者を見つけては優位に立とうとする。こうした差別の連鎖は果てしなく続くため、原点を辿り原因を解きほぐすことは容易ではありません。文献ではなく、「モノ」から解き明かされつつある琉球弧の島々の歴史再構築に、胸の高鳴りを押さえることが出来ません。

 

 敢えて東南アジア的なポーズで決めてみましたが何か?

 

同館では同じく5月9日まで、『アイヌ文化へのまなざしーN.G.マンローの写真コレクションを中心にー』が開催されています。ここではスコットランド出身の医師でアイヌ文化に傾倒していたニール・ゴードン・マンローが北海道・二風谷で、アイヌの人々がクマの魂を神の国に送る儀式(イヨマンテ)を執り行う様子を撮影した貴重なフィルム『The KAMUI IOMANDE』(1930年)を観ることが出来ます。展示スペースが小さいため資料数は少ないものの、この映像体験だけでも足を運ぶ価値があります。

 

まさに南と北の”辺境文化"に同時に触れることが出来る今回の展示を通じて、目から鱗を剥がしてみてはいかがでしょうか。同館が建つ佐倉城跡は桜の名所としても知られています。桜吹雪を愛でつつ、兵どもが夢の跡ならぬ失われし文化に想いを馳せるには、絶好の機会とも云えるでしょう。

 

詳細はこちらの国立歴史民俗博物館の公式動画(6本)をご覧下さい。