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   中南米社会では、未だにマチスモ(Machismo)、いわゆるマッチョ思想が大手を振って歩いています。元々、スペイン語で「雄の〜」を意味する形容詞”macho”が変化したことからも、ラテン社会における「男性優位/男尊女卑」の根深さがわかろうと云うものです。フェミニズムやトランスジェンダーが市民権を得た現代において筋肉自慢のラテン男など、過去の遺物と云って良いでしょう。

 

特にカソリックの影響が色濃い中南米諸国では、マリアニスモ思想(家父長的家族制度) が浸透しており、ドメスティック・バイオレンス(DV) や家庭内暴力(FV: Family Violence)、レイプ、強制的中絶といった女性に対する暴力(VAW: Violence Against Women) がそこここに見られ、ユニセフはカリブ海諸国では何と48%の女性が何らかの性的暴力の被害者であるとも報告しています。

特に新型コロナウイルスの感染拡大により外出禁止令が出された昨年3月以降、DV被害は急増しており、アルゼンチン共和国ではロックダウンが発令された最初の20日間で、18名もの女性がパートナーもしくは元・パートナーによって殺害されたと云います。

その一方でマリアニスモには、聖母マリアを理想に掲げる圧倒的な女性崇拝。母性ゆえに女性が男性に対して精神的優位性を持つとする考え方が定着しています。この振り幅の大きな二面性が、ラテン社会における男女関係を複雑にしています。

 

ラテン男は女性を賛美する。これは事実です。南欧や中南米を旅するとその徹底振りには驚かされます。彼の地では、相手がどのような女性であろうと男たるもの、じっと見詰める、声をかける、褒め倒すのが最低限の「礼儀」となっています。近所のおばちゃんにでも甘い言葉を投げかけ、例え自分の好みのタイプではない女性であってもその美しさをこれでもかと云うほど誉めそやす。これが出来なければ一丁前の男としては認めてもらえません。

マザコンが多いのもラテン男の特徴です。以前、イタリア共和国北部のジェノヴァを訪れた際、30代半ばの伊達男を通訳に雇ったことがありました。独り者の彼は、「僕は自立した一個人として自由を満喫している」と豪語していましたが、聞けば毎日、ランチには実家へ帰り、ママンの手料理を楽しむのが日課でした。

 

こうしたラテン男の女性崇拝振りが手に取るようにわかる映像があります。フランス人のカムリ・ドリディ監督が、キューバ共和国の伝説的なストリート・ミュージシャン”エル・ガロ”ことミゲル・デル・モラレスさんを追ったドキュメンタリー作品『キューバ・フェリス』(Cuba Feliz)の一シーンです。

観て頂ければわかるように、ここに登場する男たちが何ともいい味を出している。おじちゃんたちのおばちゃんを見るつぶらな瞳が、まるで中学生のようにキラキラ輝いている♪ トランペット奏者のあんちゃんが、これまた口から生まれて来た絵に描いたようなナンパ男なのですが、どうにもこうにも憎めない。まさにラテン男たるものこうあるべし、といったお手本のような男たちです。

   女性差別はいけません。手を挙げるなど以ての外。ただ、褒められて嫌な気がする女性はいない。こんなシンプルさがラテン社会の魅力でもあります。

 

『ラグリマス・ネグラス』(Lagrimas Negras)は、1925年にキューバ共和国オリエンテ州サンティアゴ・デ・クーバで結成されたトリオ・マタモロスが、1931年に発表したボレロの名曲です。「黒い涙」と題されたこの曲では、失恋の痛手と別れた女性への想いが切々と歌われており、数々の名歌手によってカバーされて来ました。

それにしても、こうした流しのギター弾きといった風習。日本の飲み屋街からはすっかり姿を消してしまいました。今こそ復活すべき♪ 尤も、酔客の無茶振りに応えるためには少なくとも数百曲のレパートリーがなければプロとしてはやって行けません。