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   今月6日に実施されたスコットランド議会選挙において、英連邦からの独立を掲げるスコットランド国民党(SNP)と緑の党が過半数の議席を獲得し、かつて王国であったスコットランドの独立がさらに現実味を帯びて来ました(2014年9月に行われた住民投票では55%が反対票を投じ、一旦は否決されています)。

   英国の正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」で、1707年にイングランド王国に統合されるまで、ケルト系のスコットランド王国は独自の文化と国民性を培って来ました。私はスコッチ・ウィスキーの取材で同地を訪れたことがありますが、寒冷な荒野が広がる大地で抑圧され続けた歴史があるだけに、職人たちにも決して妥協を許さない不屈の精神が宿っているのを感じることが出来ました。1960年代に北海油田が開発され、経済的基盤が構築されたことから近年、スコットランド独立の気運が急速に高まって来ています。

 

   アイルランドも1541年にイングランド王であったヘンリー8世がアイルランド王を自称したことをきっかけに武力に勝るイングランド王国の支配下に置かれ、カトリックは徹底的に迫害されました。1801年にアイルランド王国はグレートブリテン王国に併合され、国家消滅の憂き目に遭います。こうした積年の恨みから19世紀後半には民族主義が台頭し、第二次世界大戦後の1949年になってアイルランド共和国として独立を宣言し、遂に英連邦からの離脱を果たします。

  

   軽快なステップで人気の高いアイリッシュ・ダンスにも、こうした歴史の闇が色濃く投影されています。イングランドの圧政により、16世紀のアイルランドでは独自の言語であるゲール語は元より、音楽や舞踊、文学といった伝統文化は悉く禁止されてしまいます。現在のように多様性を尊重するような時代ではありません。約400年にも及んだ禁制下、人々は民族楽器を隠し持って、各家庭で密かに歌い、暖炉の前で足を踏み鳴らすことで民族の誇りを辛うじて継承して来ました。

アイリッシュ・ダンスの特徴として、上半身は殆ど動かすことなく、下半身のみでリズムを刻むといったスタイルが挙げられますが、これは窓の外から他人に覗かれても踊っていることが気づかれないようにしたため、とも伝えられています(それだけに複雑かつ高度な”足技”が編み出されて行きました)。

 

映画『タイタニック』(1997年)の劇中、アイルランド移民の主人公ジャック・ドーソンを演じたレオナルド・ディカプリオがアイリッシュ・ダンスを踊るシーンがありましたが、この伝統舞踊は移民たちと共に新大陸へと渡り、ジャズやロックと融合することで独自の進化を遂げて行きます。タップダンスは、アフリカ系米国人によって編み出されたステップですが、ブロードウェイ・ミュージカルなどメインストリームのエンターテイメントとして洗練される過程で、アイリッシュ・ダンスの影響があったとも考えられます。

アイルランドの民衆は、弾圧に屈することなく伝統芸術を守り抜いた、などといった美辞麗句で本稿をまとめるつもりはありません。何だかんだ云ったところで皆、シンプルに歌って踊って楽しみたかっただけに違いありません。それ以上でも以下でもない。イングランドにもダンスはあったけれども、アングロサクソン系とは、どうにもノリが合わなかったということでしょう。ただ、こましゃくれた理屈ではないこうした本能的な部分にこそ真実はあり、民族のパワーの源泉であることに疑う余地はありません。

 

こちらはアイルランドの首都ダブリンの中心街「テンプル・バー」エリアの路上でパフォーマンスを披露する地元のダンス・チーム”フージョン・ファイターズ・ダンス・クルー”の若者たちです。革ジャンの女の子がとにかくかわゆい♪

1996年に米ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで上演された『リバーダンス』のフィナーレ。2000年からはブロードウェイのガーシュウィン・シアターで1年間にわたり上演され、私も同地で観劇しましたが圧巻はアイリッシュ・ダンスのラインダンス♪ 同ショーは世界的ブームを巻き起こし、アイリッシュ・ダンスの復興を後押ししました。