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   以前、この連載にも書きましたが、どうしても日本以外の国に永住覚悟で移住しなければならないとなれば私は、迷わずイタリア共和国かベトナム社会主義共和国のいずれかを選ぶでしょう。その理由は、コーヒーとパンが美味しいこと。そのどちらかが欠けても、清々しい朝を迎えることは出来ません。

 

   私が初めてベトナムの地を踏んだのは1987年。同国が未だ鎖国状態にあり、世界最貧国の烙印を押されていた時代でした。サイゴン (Sài Gòn 現・ホーチミン市) の中心部を貫くレ・ロイ通り (Lê Liでは両足を失った傷病兵が物乞いし、市民生活を支えるベン・タイン市場 (Bến Thànhでは、まるで漫画に出て来るような継ぎ接ぎだらけの襤褸を纏った子供たちが歓声を挙げながら走り回っていました。

   目抜き通りには、廃材を組んだ手作りの屋台が幾つも軒を並べてもいました。もうもうと湯気が立ち上るフォー (ph ベトナム麺) の店もあれば、マンゴスチンやドリアン、パパイヤといった南国果実やサトウキビをその場で搾ってジュースにする店、孵りかけのアヒルの卵を茹でたホビロン(ht vt ln)は、さすがに口にすることは出来ませんでしたが、サイゴン市民のお気に入りでした。

 

   そこで出会ったのがベトナム風サンドイッチのバイン・ミー (bánh mì)。バゲットに、レバーペーストやパテ、鶏やサラミ、胡瓜、甘酢漬けのニンジンやパクチーといった様々な具材を挟んだファストフードです。同国は、長らくフランス共和国の植民地であったため、製法を伝授されたバゲットの美味しさは折り紙付き。しかも当時はまだ、保存料などといった”高級品”は手に入らなかったため、いつでも焼き立てのバゲットを味わうことが出来ました。パリッとした表皮に守られたクラムと称されるふんわりとした中身は、うっすらと卵黄の色で染まってもいました。

 

   場末の食堂の暖簾を潜ると、大皿には無数の蠅がたかっています。潔癖症であった文豪 泉鏡花は「衛生に威かされて魚軒(さしみ)を食はない」と、『麻を刈る』(『鏡花全集』巻二十七) に綴り、「蛆に嫌はれたものでなければならない」と嘆いていますが、無粋な私にしてみれば、蠅もたからぬ食い物なんぞ旨いはずがない。あれこれ食しましたが、そのいずれもが東京のお高くとまったレストランなど足元にも及ばない”豊かな料理”ばかりでした。

   食は文化。北京やバンコクでは胃が保たないだろうが、ここであれば生きて行ける、と思ったものです。

 

  さて、本日ご紹介する映像には、同国の庶民的な料理の数々が登場します。美しい農村地帯を捉えた映像や、野菜を刻む「コッコッ」、炒め物の「ジャンッ!」といった瑞々しい音声が、弥が上にも食欲を誘います♪

   もちろんこの『Khói Lam Chiều 』シリーズ、ドキュメンタリーではありません。主役のミュウ・ニグェンさん (Mỹ Nguyễn)は、同国では知られたファッションモデル。2019年には『ミス・グローバル・ビューティークイーン』世界大会のベトナム代表にも選ばれています。とは云え、驚くほど手際が良く、都会から故郷へ一時帰省した孝行娘をナチュラルに演じていらっしゃいます。以前、このブログでもご紹介した中華人民共和国・四川省の李子柒さんが投稿されているビデオも同じくですが(『いただきます。ごちそうさま』昨年1月12日)、アジアではこのタイプのYouTube作品が人気を博しているようです

  この映像を観れば、あなたもベトナム社会主義共和国に永住したくなる? 食べることは、生きること。とは云え、胃のみならず舌も満たされなければ人生、楽しめません。

 

いつまでも、ゆるゆると観ていたい心地良い映像です。バインセオ (Bánh Xèo) はベトナム南部に伝わる粉物料理の代表格。それぞれの家庭で挟む具材が異なるいわゆる”おふくろの味”です。「バイン」は粉物という意味で、「セオ」は熱した鉄鍋に生地を伸ばした際に出る音に由来しています。

こちらはテト(Tết)、ベトナムの春節(旧正月)に供されるバナナの葉で巻いたヘッドチーズ(Giò Th)です。後半、いかにもという感じで、庭先で詩歌が詠われます。ところがこれ、決して珍しいことではありません。私が同国中南部の高原都市ダラットを取材で訪れた際、一般家庭に招かれ夕食をご馳走なりました。すると、この場面と同じように近所のおじさんが、おもむろにアコギを手に取り、朗々と詩を吟じて下さいました。この国では、詩歌がまだ生きている。星降る夜の忘れ難い想い出です。