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初代内務卿 大久保利通

 

岸田文雄総理大臣は、先頃”暗殺”された故・安倍晋三 元・総理大臣の葬儀を、「国葬」として執り行うと発表しました。これまで葬儀が「国葬」または事実上の「国葬」となった人物は計28名。そのうち天皇を始めとする皇族や公爵、侯爵ならびに帝国陸海軍大将を除いたいわゆる「平民」は3名のみです。我が国初の国葬級の「葬儀」は、1878年(明治11年) 5月17日に催された明治維新の元勲 大久保利通のものでした。

 

ご周知の通り、薩摩藩士であった大久保利通は西郷隆盛や木戸孝允と並んで”維新の三傑”と称され、公武合体を目指したものの武力倒幕に転じ、将軍 徳川慶喜が大政奉還を果たしたことから王政復古の大号令を実施。近代日本の夜明けを切り開いた志士のひとりとして知られています。

維新後は西郷隆盛や板垣退助ら征韓派と対立し、初代内務卿 (現在の内閣総理大臣に相当) に就くと”富国強兵”を旗印に殖産興業政策を推し進め、明治政府の実権を握ります。

 

ところが大久保は1878年 (明治11年) 5月14日午前8時半頃、新政府に不満を募らせた士族らの手により、東京府麹町区麹町紀尾井町清水谷 (現・東京都千代田区紀尾井町清水谷) において、志半ばにして”暗殺”されてしまいます (紀尾井坂の変)。実行犯は石川県藩士の島田一郎や長連豪ら6名。中心人物の島田は征韓論者であり、政争に敗れ官職を退かざるを得なかった西郷隆盛の処遇に怒り心頭し暴挙、今で云うところのテロルを企てました。その『斬奸状』 (陸九が起草) には、

 

曰く、公議を杜絶し民権を抑圧し以て政事を私する。其罪一なり。(国会を開催せず民権を抑圧)
曰く、法令漫施請託公行恣に威福を張る。其罪二なり。(朝令暮改が多く官吏の登用にコネ多し)
曰く、不急の土木を興し無用の修飾を事とし以て国財を徒費する。其罪三なり。(不要な公共事業が多々あり国費を浪費)
曰く、慷慨忠節の士を疎斥し憂国敵愾の徒を嫌疑し以て内乱を醸成する。其罪四なり。(憂国の志士を排し内乱を醸成)
曰く、外国交際の道を誤り以て国権を失墜する。其罪五なり。(他国との条約を履行せず国威を失墜)

 

   といった大久保の”5つの罪状”が列挙されています。

遺体の損傷は凄まじかったようで、全身に16カ所の刀傷があり、致命傷となった頸部に突き刺された刀は地面にまで達していたと云います。現場に駆けつけ亡骸と対面した当時は駅逓局長 (現在の経済産業大臣に相当)であった前島密は、

「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と、その惨状を綴っています。

 

1967年10月31日に東京・千代田区の日本武道館で執り行われた吉田茂 元・内閣総理大臣の葬儀は戦後初の「国葬」となり、皇太子ご夫妻(現・上皇上皇后両陛下)を始め外国使節約5,700名が参列しました。

 

満47歳で兇刃に斃れた「平民」大久保の葬儀には、総費用4,500円 (現在における貨幣価値は約1億円)が費やされ、葬儀が営まれた邸宅には1,200名を超える人々が次々に弔問に訪れるなど国葬級の葬儀であったと伝えられています。

明治政府の立役者であった大久保の死に対しては、明治天皇から右大臣・正二位が贈られ、5,000円の祭粢料が下賜されたことからも、この盛大な葬儀が未だ足元が揺らいでいた明治政府の「正義」を国内外に示し、反政府分子を「牽制」する”一大イベント”として機能したことは明らかでしょう。

ちなみに我が国の喪服は元々「白」が基本色でしたが、この葬儀を境に欧米のブラックフォーマルといった慣習が採り入れられました。穿った見方をすれば、これも欧米列強に追いつけ追い越せといった近代化の正当性を誇示するパフォーマンスであったとも考えられます。

 

いつの時代にも、為政者の評価というものは、それぞれの国民が信じる思想信条、置かれた立場や利害関係によって異なります。また、その功罪も時代によって評価は分かれ、歴史によって裁かれることとなります。

しかしながら、「天皇の特旨によって賜る」と規定され1926年 (大正15年) に公布された『国葬令』 (勅令第324号) は戦後、日本国憲法によって天皇が「日本国の象徴」(第一条)となったことから失効し、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(第十九条)ならびに「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」(第二十条 2)といった条項に則り「国葬」は廃止されています。

 

こうした歴史的経緯を踏まえれば、故・安倍晋三 元・総理大臣の葬儀を法的根拠の脆弱な「国葬」として復活させるよりは、内閣と自由民主党もしくは内閣と衆議院による「合同葬」として執り行う方が遙かに理に適っていると云えるでしょう。

日本経済が崩壊の危機に直面している今、国論を二分し「分断」を助長する方針を敢えて打ち出す必要があるのかどうか。それは安倍晋三流ポリティクスの「終焉」を意図する儀式なのか、それとも「継承」を意味する通過点に過ぎないのか。今回の「国葬」論議がどこか、大久保利通の”国葬級”の葬儀の顛末とオーバーラップして見えるのは、果たして私だけでしょうか。

 

 

【脚注】 「暗殺」は、「政治的目的のために、政治的要人を非合法的手段で殺すこと」を意味しますが、広義においては「個人的動機の強いもの」も含まれ、高級紙を含む欧米では今回の安倍晋三 元・総理大臣に対する銃撃・殺人は、一様に「暗殺」(assassination) の表記で報じられているため、本稿でも「暗殺」の文言を用いています。

 

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