20221031-1.jpg
 

 

岸田文雄総理大臣というお方は、驚くほど権力というものに執着がない希有な存在と云えるでしょう。我が国の政治近代史において、彼ほど権謀術数が不得手、というよりもそもそも関心がない為政者はいなかったように思います。良く云えば、おぼっちゃま。「いい人」が必ずしも名君ならず、の好例でもあります。

 

「聞く耳を持つ」彼は、有力派閥の領袖たちの意向を丁寧に聞いて廻った結果、にっちもさっちも行かなくなっているように見受けられます。雨栗日柿。どうも「話せばわかる」とナイーヴに信じておられる節がある。

しかしながら政界というものは、古今東西を問わず魑魅魍魎の集合体です。裏切りや手の平返しは当たり前。札束が舞えば壺も飛び交う。「経済」と云えば聞こえはいいものの、「実利」が政治の基本です。国民生活の向上に軸足を置いて経済政策を論じるか、損得勘定として捉えるかによって、政治家としての資質が分かれる。これを「品格」と云います。衆議院議員の祖父と父を持ち、自身も29年間もの長きにわたり政界に身を置きながら、こうした濁世に毒されず、悪く云えば漫然と過ごして来られたとは驚き 桃の木 山椒の木です。

 

  今年7月28日の本ブログ『経世済民は一日にしてならず』でも綴ったように、故・安倍晋三氏が兇弾に斃れて以降、岸田総理大臣には自民党最大派閥の清和政策研究会(清和会)を一気呵成に空中分解にまで追い込み、宏池会の天下を再び取り戻すチャンスが幾度もありました。ところが彼は、なぜか侍して動かなかった。

山際大志郎 経済再生担当大臣の”辞任”も然り。タイミングを見計らって”更迭”してさえいれば、支持率回復のきっかけともなったものを、麻生太郎 衆議院議員率いる志公会 (第3派閥)に忖度し、山際大臣が自ら”辞任”を云い出すまでだんまりを決め込んでいたため、不人気振りに拍車をかける結果となりました。すべての判断が悉く裏目に出る。その原因は彼の優柔不断な性格、というよりは権力欲のなさに起因しているように思われます。

政 (まつりごと) は綺麗事ではありません。国政を司り、大業を為すためには清濁併せ呑み、肉を切らせて骨を断つほどの覚悟としたたかさが必要不可欠です。それは”議会政治の父”と讃えられた尾崎行雄も、”コンピュータ付きブルドーザー”と称された田中角栄とて同じこと。リーダーとは孤独な存在です。「協調」は大切ですが、万人の意見を聞いていたのでは物事は進まない。万難を排して意を決し、断を下さなければ国政は停滞 =後退を余儀なくされます。

 

方や野党はどうかと云えば、憲政の常道とは程遠い体たらく。時折、与党案に抗する凡庸な”対案”を出す程度で、優秀なブレーンがいないこともあり独自の発想に基づく現実に即した経済政策など唯のひとつも打ち出せずにいる。未だに「投票率が上がれば政権交代が達成出来る」などと嘯く脳天気な方々もいるようですが、これほどまでに問題を抱えた与党よりも、野党は国民の信頼を得ていない、といった厳然たる事実と真正面から向き合うべきでしょう。国民は馬鹿ではありません。「白」か「黒」かの教条的な観念論にうつつを抜かしているようでは、とてもではありませんがサイレント・マジョリティの大半を占める保守層の心(票) を摑むことなど出来ません。

 

右翼と左翼の共通認識は、「この国は壊れつつある」。四の五の云う前に、どちらさんも真摯に市井の人々 (生活者) の声に耳を傾けてごらんなさい。命を張って地道にこの国を支えているのは、決してあなた方ではありません。

 

 

【脚注】 タイトルは、前漢の思想書『淮南子』の齊俗訓(巻十一からの引用で、「形や類の違う者が職を替えれば失敗し、適所を失えば賤しまれ、勢いに乗じれば尊ばれる」という意味。

 

このページのトピック