20220112-1.jpg
 

 

「お帰り」。云いたくても云えなかった、二度と云えなかった挨拶があります。あの日、あの時。広島で、長崎で、神戸で、そして東北で…。『君の名は。』の大ヒットで知られる新海誠監督の集大成にして最高傑作との呼び声が高い最新作『すずめの戸締まり』を鑑賞して来ました。

劇中、屈託のない、または決意のこめられた「行ってきます」の声が幾度となく谺します。”あの日”を境に、あなたはどこへ行き、どこを彷徨い、どこに帰って来たのか。帰って来られたのか、それとも…。圧倒的な映像美に抱かれた壮大な”喪失と再生の物語”に心揺さぶられます。

 

2011年(平成23年) 3月11日14時46分18.1秒、宮城県牡鹿半島沖130キロメートルを震源とするモーメント・マグニチュード(Mw) 9.0の大地震が発生。東北3県を中心に死者数15,900人、行方不明者2,523人を数える未曾有の大災害が襲いかかりました (2022年2月末現在。警察庁 緊急災害警備本部調べ)。

東日本大震災。”あの瞬間”から、ジャンルを問わずすべてのクリエーターは、この苛酷な現実といかに向き合うか、いかに表現するかを胸元に突きつけられます。新海監督も、

「あの震災があって、ものの考えかたも、世界の捉えかたも変わった。(中略) それは僕だけではなくて、日本に住むほとんどの人が否応なく経験した変化だったと思う」と語っています(『ファミ通.com』2022年11月17日付)。

一介のジャーナリストとして何を為すべきか。独自のメディアを持たない私は、居ても立ってもいられず震災3日後から、主に海外の知己のマスメディア関係者約100名に向けて、一ヶ月にわたり英語で情報提供メールを一斉送信し続けました。各国からたくさんの問い合わせがあり、スリランカ民主社会主義共和国大使館からは、同国人の行方不明者の捜索依頼も届きました。

 

しかしながら、私にとっての”回答”は拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』でした。グラウンド・ゼロから血の汗を流しながら甦った「広島」の経験を何としても被災地へ届けたい。宮城県・石巻で、福島県・南相馬で出会った数多くの被災者の方々に、僅かでも希望の光を届けたい。結果的に刊行までには8年もの歳月を要しましたが取材・執筆中、「ごめんなさい。もう少し待っていて下さい。あと少しだけ…」と何度も心の中で呟く自分がいました。

 

新海監督も、おそらく同じ想いを共有していたのではないでしょうか。彼は、「一言で表すと『場所を悼む物語』を作りたかった」と語っています。

「僕の実家は建築業でしたし、何か新しい建造物を作るとき、祈りを捧げる地鎮祭のような儀式をする風景も記憶に残っています。でも、反対に町でも土地でも”終わる”ときは、故人を悼むお葬式のような儀式は存在しない。それであれば、人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語はどうだろうかと考えたんです」

また、「『君の名は。』から『すずめの戸締まり』まで、40代の10年間、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていたと言っても過言ではありません」とも話されています (『映画.com』2022年11月12日付)。

 

   新海監督は、ひとりの表現者として真正面から”あの日”と向き合い、腹を括って東日本大震災をテーマに掲げ、彼なりの”回答”を出した。そうした彼の想いは、キャラクター設定やストーリーのみならず、伏線の張り方、ディテール描写からもひしひしと感じることが出来ます。

“マス”をターゲットに据えたプロフェッショナルである新海監督は、徹底してエンタテインメントの衣を纏ってはいますが、『すずめの戸締まり』はヤワなノンフィクションなど一瞬で吹き飛ばすほどの圧倒的な”熱”と”圧”を宿しています。本作では、倒壊した家屋に押し潰されたり、津波に呑み込まれる人々が描かれているわけではありません。しかしながらこの作品は、紛れもなく第一級の震災映画と云えるでしょう。

 

   「少なくともこの世界を、より生々しく鮮やかに感じているのは子どもたちだと思います。悼みにしても、喜びにしても、色彩にしても、匂いにしても、大人よりははるかに強いものを感じ取っているだろうと思います。その意味で、常に世界の主役は子どもたちと言っていいでしょう」と云う新海監督は、“あの日”から10年以上が経過し、震災がすでに”教科書の中の出来事”になりつつあることを危惧しているとも語っています。

   これは、「被爆地・広島」と関わって来た私とも共振する感覚です。広島は、未だに1945年(昭和20年) 8月6日8時15分17秒で時計の針が止まっている。それが核兵器ならではの残虐性であり、過去は決して忘れてはならない。これは基本です。しかしながらその一方で、必要以上に過去に固執し、その場に”安住”していては、やがて「記憶」は風化し、被爆者の胸中に蠢く様々な感情は”無駄なもの”として「削除」され、事実のみを記した”教科書の中の出来事”だけが後世に残されることとなります。

 

新海監督が説く、「『すずめの戸締まり』のような物語をつくることで、十代の観客と11年前の世界をつなぎ留めることがエンターテインメントの形でもしできれば、それは自分たちにしかできない仕事として意義あることだと考えます」(『Pen Online』2022年12月9日付) といったスタンスもまた私と共通するものです。

未来を担う若者たちにバトンをしっかと手渡してこそ歴史は継承され、時代の警鐘ともなり得る。私も、拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』を執筆した時と同じように、最終列車に何とか飛び乗り、これまで誰も実行に移さなかった方法で新たな地平を目指し、被爆体験の継承を実現させて行きます。さらなる”回答”を追い求めて。

 

“あの日”から、僅か10年余りで東日本大震災を描くには、相当な覚悟を要したはずです。誹謗、中傷、やっかみ。思いを寄せ続けた被災者たちからも、少なからず非難の声は挙がったことでしょう。それでも彼は、「扉」を開けた。万難を排して、「後ろ戸」を閉じるために。

新海監督には僭越ながら、「あんたはなんか、大事なことをしちょるような気がする」という本作に登場する環さんのセリフを、感謝の気持ちを込めてそっくりそのまま、「お返し申す」。『すずめの戸締まり』が宿したメッセージは、震災を知らない子どもたちにも確かに届いています。ほら、皆の「行ってきます」があちらからも、こちらからも聞こえて来ます。

 

このページのトピック