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昨年10月、東京・世田谷区の昭和女子大学において、人間社会学部・現代教養学科の学生たちを中心に、400名余りの女子大生の皆さんへ向けて『コミュニケーションの可能性〜「常識」から「良識」へ〜』といった演題で講演をさせて頂きました。

お陰様で参加された1〜4学年の生徒さんたちは熱心に耳を傾けて下さり、 「特殊研究講座」であったこともあり、300ページを超えるコメント・ペーパーに各人各様の感想や意見を綴って下さいました。

 

本講演では、私自身の米国留学と海外取材経験を踏まえて異文化コミュニケーションの重要性を説き、時間と空間を凌駕するコミュニケーション能力を身につけることで、自由で柔軟な発想を獲得するノウハウについてお話させて頂きました。また、社会情勢や時代の要請によってその姿を変える「常識」に囚われることなく、人類が様々な苦難、試練を乗り越えて築いた「良識」を踏まえて、多様なオリジナリティ、個性を自ら創出して欲しいともお伝えしました。

 

特に今の大学生たちは、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、高校時代から周囲とコミュニケーションを取ることを事実上”禁止”されて来ました。対面でストレートに悩みや喜びを打ち明け合い、時には喧嘩をしながら理解を深め合う、抱き合うこともキスすることも、マスクの下に隠された友人の笑顔さえ見ることが許されない”異常な時代”に思春期を送らざるを得ませんでした。彼らがコミュニケーション能力を取り戻し、社会に順応するよう手助けすることは、私たち人生の”先輩たち”の責務でもあります。

 

それでなくとも現代社会は、ディスコミュニケーションに満ち溢れています。いじめや差別、ドメスティック・バイオレンス (DV) といったストレスの多い環境下では、ややもすれば投げやりになる、自ら命を絶ちたいと思うこともあるでしょう。「誰もわかってくれない」。深刻な人間不信に陥った際、救いの手を差し伸べてくれるのがグローバルな発想です。家族や親戚、友人、教師といった身近な「世界」がすべてだと思えば、逃げ場がなくなってしまいます。内に籠もり自分を責めるしかなくなる。

ところが一歩、「外へ」踏み出せば、そこには自分や周囲にいる人々がこれまで「常識」だと頑なに信じていた尺度とは、まったく異なる思想や信条、信仰、慣習を”当たり前のもの”として生きている約 80億人もの人々が存在します。そこには、あなたと同じような悩みや哀しみを抱えながらも、人生を謳歌している、我が道を往く人たちがいる。その中には必ず、あなたの立場や考えを理解し、愛してくれる人がいます。だからひとりで頑張らなくてもいい。助けを求めたって、頼ったって構わない。自信を持ってチャレンジし続けて欲しい、と私なりのエールを贈りました。

 

 

学生さんたちが後日、提出して下さったコメント・ペーパーを繙くと、「言語はツールであると同時にカルチャーである」といったフレーズに反応された方々が多かったようです。「講義の中で『コミュニケーションは自己を解放すること』と仰っていたけれど、私自身、解放できていなかったと感じた」、「新しい言語を学ぶことで、自分の中に違う思考回路を作れば、新しい発見につながる」。また、頭だけではなく、五感をフルに動員することでコミュニケーションをスムーズに図ることが出来る、といったアドバイスにも共感して頂いたようです。

 

「講義の中で、もっとも印象的だったのは『コミュニケーションは神からの最大のおくりもの』だった。(中略) 私たちはZ世代として、情報化社会を生きているため、情報の取捨選択や情報を発信するときのリスクを学んでいるので、それを活かして世界とつながりを持つきっかけをつくることができるかもしれない」といった前向きな意見が多かったことに私自身、希望を見出すことが出来ました。

私は事ある毎に、”共通言語”といったキーワードを用いていますが、「今までコミュニケーションをする際は相手に自分のことを知ってもらうことを意識していたが、共通部分を見つけることが大切だと感じた」であるとか、「弓狩さんは講義中に、情報を増やし思考回路を広げる事は自分の可能性 を広げることに等しいと述べた。私もこの意見に賛成する」といったように、皆さんが私のメッセージを素直に受け止めて下さったことも有り難く感じました。

 

かつて「30歳以上の奴らは信じるな」 (Don’t trust over thirty) といったスローガンがありましたが私は、(私を含む) 戦争体験のない今の30歳以上の日本人はこの国、そして世界に対して若者たちの手本になるような貢献を殆ど成し得て来なかったと反省しています。かつて世界に向けて「未来」を提示したあの日本の姿は今やどこにもありません。

だからこそ我々は、若者たちの障害となるような「常識」を率先して排除し、彼らが「私たちにはまったく理解出来ない方法」で、新たな道を切り開く手助けをしなければなりません。それは、口で云うほど楽な作業ではありません。自らの非を認め、場合によっては己の半生を自己否定することにも繋がります。しかしながら、それぐらいの覚悟を持って臨まなければ到底、若者たちの力にはなれません。

19世紀の英首相ベンジャミン・ディズレーリはこう云っています。「青年は失敗を繰り返し、壮年はもがき苦しみ、老年は人生を悔いる」 (Youth is a blunder; manhood a struggle; old age a regret.)と。「良識」がありさえすれば、反面教師にもまだやれることはあります。

 

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