広島: 2023年8月6日
2023/08/06
私が、広島と契りを結んでから、8年余りの歳月が流れました。
その間、何人もの被爆者と邂逅する機会に恵まれ、親交を紡ぐ中で、
被爆体験のみならず戦前の想い出、戦時中であれ果てしなき夢を
抱いていた幼少期、そして、壮絶な差別に見舞われた戦後の”疵痕”を
伺ってまいりました。
その後、何人もの被爆者との別れがありました。
拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』で取材をさせて頂いた方々の多くが
すでに鬼籍に入られました。新型コロナウイルス感染拡大以降、外に出るのも
「たいぎぃ」と仰る方が増えました。
時計の針は止められない。
被爆78年、広島。
市役所で、学校で、病院で、職場で、酒場でも、
被爆体験の風化を憂い、嘆く声を耳にします。
「何とかせにゃあいけん」
それでも、誰も腰を上げようとはしない。声を上げても、
半世紀前と何ひとつ変わらぬ論法を繰り返すばかり。
拙陋な思考に凝り固まり、生暖かい旧弊に安住し、
何ら”革新的”な道筋を編み出すことなく、
一個人として実行に移そうともしない。
時計の針が 0 を指そうとしているにも関わらず。
詩人 栗原貞子は、『八月の死者たちのために』の中で、
死者たちをして語らしめよ
死者たちよ、そちらの方から
私たちの生きざまがよく見えるだろう。
死者たちの無念は炭化し
黒く凍結したままなのに
生き残ったものの記憶は腐臭を放ち
あの日の真実を語ることはできない
と、綴っています。
過去、現在、未来を貫通する
鋭くとぎすまされたことばで
一瞬世界を凍りつかせよう。
核をあやつる者たちを
蒼ざめさせ 立ちどまらせよう
あなたは、あなた自身のことばを持っていますか?
それは、自らの手で、足で、たぐり寄せたことばですか?
借り物のことばはもう止しにしませんか。手垢が付き、
埃を被ったことばになど、もう、誰も見向きはしない。
あなたは、武力ではなく、対話で諍いは回避すべきと云う。
そんなあなたは、腹の底から沸き上がることばを持っていますか?
広島は、どこへ行くのか、行こうとしているのか?
“死者たちへの誓い”はどこへ行ってしまったのか?
“ひろしまの体臭”は消え失せてしまったのか?
被爆78年、広島。
原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げると共に
微力ながらも自らのことばで、自らの行動によって
被爆体験の継承を通じて、世界恒久平和の実現に
尽力することをここに誓います。