先月29日、武蔵野公会堂ホール (東京・吉祥寺) で開催された「憲法映画祭 2024」にて、伊藤秀朗監督作品『サイレント・フォールアウト』 (2023年) を鑑賞する機会に恵まれました。大気圏核実験による米国内における放射能汚染の実態は、知識としては十二分に聞き知ってはいたものの、丹念に実証データを掘り起こし、証言を積み重ねて映像化し、真実に迫った本作には大変感銘を受けました。また、これまでにない斬新なアプローチに、同世代の同業者として大いに勇気づけられもしました。
上映後に登壇された伊藤監督は、「この作品は、アメリカ人に観てもらうために制作しました」と明言。日本国内でいくら声を挙げようとも、核兵器を保有する「アメリカ人が変わらなければ核軍縮は成し得ない」といった認識は、私とも共通するものがあります。これは半世紀以上にもわたる我が国の反核・平和運動を軽視するものでは無論なく、寧ろ先人によって蓄積された知見をベースとしながらも、グローバルかつ戦略的な視点を提起する新たなストラテジー。”過去”に学びながらも”過去”に留まらない”攻め”の姿勢が、今こそ求められているということです。
本作では、1945年 (昭和20年) 7月16日に米ニューメキシコ州アラモゴードで実施された人類初の核実験「トリニティ」 (Trinity Test) に始まり、63年 (昭和38年) 8月5日に部分的核実験禁止条約 (PTBT) が締結されるまで実施された大気圏核実験によって、空気中に撒き散らされた放射性降下物 (フォールアウト) の実態をつぶさに追っています。
米国人がフォールアウトの危険性をまったく認識していなかったわけではなく、身体に生じた”異変”の原因を民間レベルで追及する動きはあった。この作品では、ルイーズ・ライス医師が夫のエリックらと共に1959年 (昭和34年) から12年間にわたりミズーリ州セントルイスに住む子供たちの乳歯を集めたベビー・トゥース・サーベイ (Baby Tooth Survey) に着目しています (最終的には32万本を収集)。
これらの乳歯からは、高レベル放射性廃棄物や死の灰に多量に含まれるウランやプルトニウムの核分裂生成物ストロンチウム90が発見され、その分析結果は61年 (昭和36年)、米科学雑誌『サイエンス』に発表されます (後に63年に生まれた子どもたちは、それ以前に誕生した子どもたちよりも50倍も多くのストロンチウム90を摂取していたことが明らかとなります)。
この”不都合な真実” (An Inconvenient Truth) を知らされたジョン・F・ケネディ米大統領はキューバ危機を経て、ソビエト社会主義共和国連邦 (旧・ソ連) と英国との間で大気圏内、宇宙空間および水中における核兵器実験を禁止する PTBT の調印にまで漕ぎ着けます。
ビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」 (米国立公文書館蔵)
こうした子を持つ母親たちの草の根運動は、東京・杉並区から始まった原水爆禁止署名運動とも重なります。54年 (昭和29年) 3月1日に、ビキニ環礁で実施された米国の水爆実験により、我が国のマグロ漁船「第五福竜丸」を始めとする多数の漁船が被爆。乗組員は急性放射能症を患い、放射性降下物によって汚染された487.5トンもの漁獲物が廃棄されました。
被爆国を再び襲った悲劇に対して、初めて声を挙げたのは杉並区和田で魚商『魚健』を営んでいた菅原健一さんでした。彼と妻のトミ子さんは水爆実験の禁止を訴え、陳情を受けた区議会は全会一致で「水爆実験禁止決議」を採択します。
この時、水爆実験禁止運動の先頭に立ったのが、家族の命を守る立場にあった主婦たちでした。「おかしいものはおかしい。皆で人類の生命と幸福を守りましょう」。杉並区公民館で読書会「杉の子会」を開いていた女性たちが署名運動を主導し (杉並アピール)、同年5月13日から翌月24日までの間に26万5,124名もの署名を集めました。
街頭に立ってチラシを配った彼女たちの地道な努力は、原水爆禁止署名運動全国協議会 (全国協議会) の結成に繋がり、最終的には全国で3,259万907名にも上る署名を集め (55年9月)、原水爆禁止運動の嚆矢ともなりました。
伊藤監督は、「核実験反対は、女性たちの闘いでもあった」と云います。当時は政治的、経済的影響力が皆無であった一介の主婦たちの行動がかつて大統領を動かし、反核運動の基礎を築いた。
男たちの議論は、ともすれば抽象論に終始し、堂々巡りに陥り勝ちです。核兵器に関しても、軍事知識が欠落しているが故に、「核抑止力」といった時代遅れの戦略の是非を問うレベルに留まっている。現代において、社会構造を変革するのは女性たちです。現実感覚に優れた彼女たちの理解、行動なくして核兵器廃絶は成し得ません (さらに云えば、女性たちが「軍事」にかかる専門知識を身に付ければ鬼に金棒です)。
伊藤監督は、「この作品は、女性たちに観て頂きたい」とも云います。これは正しい。米国を始めとする核保有国の名もなき女性たちが放射性降下物の危険性を知り、子どもたちの命を守るために手を繋ぎ、未来を破壊する核兵器に「NO」を突きつけた時、人類が生み出した悪鬼は牙を抜かれ、義を絶たれ、死出の旅へと赴くこととなります。