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此の度、広島市立基町高等学校 創造表現コースが第37回 谷本清平和賞を受賞したとの報に接し、我が事のように喜んでいます。1987年 (昭和62年) に公益財団法人 ヒロシマ・ピース・センターによって創設された同賞は、「原爆被災者で、人類愛・平和のために奉仕した人または被爆の証言活動・宗教・文芸・教育・学術研究・医療・平和運動等を通して、平和に貢献した人または団体」に対して贈られる大変名誉ある賞です。

 

私が8年前に、同・コースの生徒たちによって描かれた「次世代と描く原爆の絵」と出逢った当時、このプロジェクトは広島でもまだ殆ど知られてはいませんでした。被爆体験証言者と現代を生きる高校生たちが二人三脚で創り出すこれら作品が醸し出す得も言われぬオーラ、そして歴史的意義に感動を覚えた私は、すぐさま本にすることを決意します。

彼らの想いを広く、多くの方々に伝えたい。そこで、このプロジェクトが始まった2007年 (平成19年) から担当して来られた美術教師の橋本一貫先生にご相談したところ、「地方の一高校のボランティア活動で本が書けるのですか?」と驚かれたのを昨日の事のように思い出します。ただ私の中ではこの作品群は先々、必ずや被爆地・広島の、被爆国・日本の至宝になるとの確信がありました。

また「次世代と描く原爆の絵」は、被爆体験証言者から直接対面でお話を伺うことが大前提となっているため、遅かれ早かれ終焉を迎える運命にあります。これは同プロジェクトの基本理念であるため、議論の余地はありません。しかしながらプロジェクト終了後、これら作品群が広島平和記念資料館の収蔵庫に”死蔵”されることだけは何としても避けなければならない。一作家として出来ることは何か。著作を通じて全国の読者にこの絵の存在をまずは知って頂くこと。そして、所蔵する広島市にこの作品群の価値を正しく再認識して頂き、誰もが観て、感じて、考えられる”場”を作って頂くことにある種の使命感、見果てぬ夢を抱いてのスタートでした。

当初は、絵を軸にした画集といった構成も検討されましたが、「次世代と描く原爆の絵」の制作に関わった被爆体験証言者と高校生たちの声をより良く伝えるため中・高校生向けのノンフィクション、読み物とする方向で企画がまとまりました。結果的に、この選択は正しかったように思います。

それまで「広島」、「原爆」を扱う書籍は「8月6日」のみを扱うものが大半で、「8月6日」と「今」とを繋げる「線」に焦点を当てた作品は皆無に等しい状況でした。広島にとってはアウトサイダーである私は、例え素人の絵であろうが「次世代と描く原爆の絵」だけが有する時空を超えた”磁力”に惹かれ、これら作品群を通じて戦争どころか戦後の”せ”の字も知らない若者たちに核兵器の非人道性、平和の大切さを伝えることが出来ると考えました。

 

広島市役所内記者クラブにおいて橋本一貫先生と共に拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』出版記念記者会見に臨む (2019年6月12日)

 

陰様で6年前に上梓した拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』は、第66回 青少年読書感想文全国コンクールの課題図書 〈中学校の部〉 に選ばれ (2021年)、送られて来た200万編もの感想文の何分の1かは拙著を読んで書いてくれた、と想像しただけで胸にはこみ上げるものがありました。

また、今年度からは拙著を原典とした拙文「平和のバトン」が文部科学省検定教科書『新編 新しい国語1』に10ページにわたり収録され、全国の中学校で教材として使われています。

さらには作家としての領分を逸脱したとは云え、彼らが丁寧に描いた油絵の”原画”を多くの方々に観て頂きたいと4年前に思い立ち、手弁当で全国の美術館を打診して廻り、3年前に漸く川崎市岡本太郎美術館 (神奈川県) で企画を通すことが出来ました。今年7月19日から10月19日まで開催された『戦後80年《明日の神話》 次世代につなぐ原爆×芸術』展では、広島県外では初めてまとまった数の原画 (42点) を展示し、たくさんの人々の目に、心に触れる機会を作ることも出来ました。

 

孤軍奮闘の闘いに明け暮れたこの6年間を振り返れば、今回の谷本清平和賞受賞からも明らかなように、少しずつであれ「次世代と描く原爆の絵」が持つ意義を理解する方々が増えつつあるように思います。しかしながらまだ、”被爆体験の継承”といった、ある意味において狭い枠組みから飛び出すまでには至っておらず、このままでは”広島のコンテンツ”といった狭いカテゴリーに埋没してしまう、閉じ込められてしまう懼れも抱いています。「次世代と描く原爆の絵」はもっと全国へ、もっと世界へ自由に羽ばたいていい。”平和の使者”となる資格を有した作品群です。

僭越ながら私ほどこのプロジェクトの本質を理解し、その行く末を案じている者はいないといった自負があります。一歩先へ。誰も考えもせず成し得なかった次の一手はすでに、始動しています。