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長崎の鐘が鳴る。

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘が鳴る。

 

(作詞 サトウハチロー『長崎の鐘』より抜粋)

 

 今年6月、10数年振りに長崎原爆資料館を訪れました。

「長崎を最後の被爆地に」といった重く、尊いメッセージに誘われ、

此の地から、天国へと召された尊きいのちに想いを馳せました。

爆心地から北東へ約500メートルの小高い丘に建っていた

浦上天主堂 (被爆により大半が倒壊・焼失) の側壁 (再現造形)、

「平和を祈る者は針一本も隠し持っていては平和を祈る資格はない」と、

訴え続けた長崎医科大学 (現・長崎大学医学部) 助教授 永井隆博士の夫人 

緑氏が (自宅にて即死) 肌身離さず身につけていたロザリオ (コンタツ) の鎖…。

 無言の叫喚、呻吟、そして怨嗟が、ひんやりとした館内にゆるやかに渦巻き、

いつまでも谺していました。

 

 丁度、同館で開催されていた企画展『立川裕子 原爆日記〜被爆から3日間

壮絶な原爆体験記』も鑑賞させて頂く機会に恵まれました。立川さんは14歳の時に、

爆心地から約1.2キロ離れた三菱兵器大橋工場で勤労奉仕をしていた際に被爆。

昭和20年8月9日午後の日記には、この世の地獄を這いずり回る様子が

克明に記されていました。

 

   私は血まみれの顔を触ってみると

   ぬるぬるとした血の中にたくさんの傷口

   があいている。私はもう目の前が

   真黒になってしまった。こんなに

   傷をうけて人前にも出られないと

   思うと急に悲しくなって涙がポロポロ

   と流れた。手を見ると肉がカギ形

   に切れてだらっと下がっている所もあるし

   くびにも大きく切れているし

   真白の県立の制服も新しい

   サージのもんぺも髪も顔も手も

   血! 血! ダラダラと流れて

   真赤になっている。そのぬるぬるとした手ざわ

   り 身ぶるいする様なこの姿。

   次々に傷のあるのを発見するたびに私は

   もう悲しくて悲しくて涙を流さずには

   いられなかった。

 

 

海に迫る山肌、鼻腔を擽る潮風、輪郭の乏しい人品、賛美歌の調べ…。

長崎の地を踏み締めて、凄惨な被爆の実相のみならず、この土地ならではの

因襲、歴史的、社会的背景について改めて”体感”することが出来ました。

原爆資料館の展示は、被爆80年を契機に更新されるとのこと。ここにも

やがて忘却という名の空っ風が吹きすさぶことでしょう。

 

   召されて妻は 天国へ

   別れてひとり 旅立ちぬ

   かたみに残る ロザリオの

   鎖に白き わが涙

 

  78年という歳月は、あまりにも残酷で、哀しく、そして鳩の羽の如く軽い。

今や、追い風もなければ向かい風もない。そうした時代に、じげもんはどこに

両の足を着け、立ち続けるのでしょうか。急峻な山頂か、それとも寄せては返す波打際か。

それは、「平和」の恩恵を一身に受けながらも、悪魔の兵器の犠牲となった方々に、

何ひとつとして恩返しをしていない私たちにも云えることです。

「怒り」を忘れてはならない。しかしながら握り拳で人心を動かすことは出来ません。

「祈り」も絶やしてはならない。しかしながら十字を切る指先で巨岩を穿つことも出来ません。

あの日、地獄を垣間見た長崎は、今も私たちに静かに語りかけています。

ひとは、許し合わねばいけん。ばってん、決して忘れてはいけん、と。

 

  被爆78年を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。

長崎が、最後の被爆地となり、一日も早く核兵器廃絶が実現されるよう尽力することを

ここに誓います。

 

 

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