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ダンスが、中学校保健体育の一環として必修化されてから今年で11年。文部科学省の説明は、「イメージをとらえた表現や踊りを通した交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにすることを重視する運動」と、まるで要領を得ませんが、少なくとも学校教育で「現代的なリズムのダンス」を学んだことで、ニッポンの子どもたちのパフォーマンスが飛躍的に向上したのは確かです。

 

しかしながらこの国の人々が伝統的に、また絶望的に不得手な分野は、何を隠そうペアダンスです。そもそも男女が対になって踊るといった習慣そのものが鹿鳴館の時代まではありませんでした。ヒップホップやブレイクダンスといった”群舞”ともなればある意味、盆踊りやソーラン節の延長線上にあるためそれなりにこなせるものの、男女のペアダンスともなるとからっきしダメ。若者であろうが未だに「フォークダンス」から抜け出せずにいます。

儒学の経書『礼記』の内則に記された「男女七歳にして席を同じゅうぜず」といったしきたりが影響しているとも考えられますが、それ以前にも日本文化には”踊り”を通じて男女が交歓するといった発想そのものがなかった。他方、アフリカ大陸はもちろんのこと北中南米、欧州、アジア地域でもペアダンスは基本中の基本とされています。善男善女が”まぐわう”。そのためだけにダンスは発展を遂げたと云っても過言ではありません。

 

そんなペアダンスの楽しさを余すところなく教えてくれたのが1971年 (昭和46年) から2006年(平成18年) まで全米で放映されていた音楽番組『ソウル・トレイン』(SOUL TRAIN) でした (日本では75年からファッションブランド「JUN」の提供でテレビ東京系列にてオンエア)。

同番組は、公民権運動の高まりから、アフリカ系米国人のプライドを讃美するコンテンツ (Black is Beautiful) が必要だと考えた当時米イリノイ州シカゴのテレビ局WCIU-TVでホストを務めていたドン・C・コーネリアスが企画・制作・MCとして出演し、大人気を博しました。

ジェームズ・ブラウンやジャクソン5、ザ・テンプテーションズといったソウル界の大物ミュージシャンたちのライヴを (口パクにも関わらず) 観られる貴重な番組でしたが、私は”ソウル・トレイン・ギャング”と呼ばれるオーディションで選ばれたダンサーたちが様々なスタイルを披露する”ソウル・トレイン・ライン”を毎週、楽しみにしていました。

 

   彼らのパフォーマンスを観てもわかる通り、ペアダンスの主役はあくまでも「女性」です。男は半歩下がって、引き立て役もしくは道化役に徹する。いわゆるツンデレが大前提。女王の如く振る舞い、下僕は唯々平伏し、付き従う。そこには”男女平等”などといった戯言の付け入る隙などこれっぽっちもありません。例え、女性の技倆がイマイチであろうと、男性がリードすることでペアダンスは成立します。女性が”光って”なんぼ。「俺が、俺が」と偉そうにほざいているマザコン野郎の出る幕は一切ない。

 

男尊女卑云々はさて置き、どうもこの国は卑弥呼の時代を除けば、女性を崇拝するといった意識が希薄なようです。「そうだ! そうだ!」と、そこで大口を叩いている男がフェミニストかどうかは、連れ合いか彼女に小声で尋ねればすぐにわかります (その他にも見破る方法はいくらでもあります。自己申告ほど当てにならないものはない)。ペアダンスをやらせれば一目瞭然。女性の欠点をカバーするには、人一倍の包容力とテクニックがなければ務まりませんよ、そこの下郎たち。

 

個人的には、ソロになったマイケル・ジャクソンが究極のダンスで世界を席巻する前夜、70年代のゆる〜いステップが好みです。曲はスティービー・ワンダーが1976年に発表した『回想』(I Wish)

こちらはクール & ザ・ギャングの『ジャングル・ブギー』(Jungle Boogie)。当時はカッコイイと思えた彼らのファッションですが、今となってみればなかなかにダサい (それでもイケて見えてしまう不思議)。オーディションで選ばれたソウル・トレイン・ギャングたちはプロダンサーではないため、衣装は自前。それでも目一杯おめかししているところが何とも可愛らしい♪

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