2011年 (平成23年) 3月11日、東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災) によって全国で亡くなった方々は1万5900人、行方不明者は2,520人にも上りました (警察庁2025年3月7日発表)。内、宮城県内の死者は9,544人で全国の死者数の50%以上を占めています (1,213人の行方不明者の捜索は今も継続しています)。
死因の約90%が溺死で (警察庁「平成24年版警察白書」2012年3月11日)、水に濡れたことによる低体温症で亡くなった方々も多数いらっしゃいました。また、避難所生活等による肉体的・精神的疲労や負担、初期治療の遅れ、または自死など、津波から逃れた後に亡くなった方々、いわゆる震災関連死の数は1都9県で3,808人を数えます (復興庁「東日本大震災における震災関連死の死者数」2025年2月14日)。
私が震災後、取材に入った石巻市では、全国の市町村別で最も多い3,277人 (直接死) と276人 (関連死) の尊い命が失われ (計 3,553人)、依然として417人の方々の行方が判明していません。
先月末、みやぎ東日本大震災津波伝承館を訪れました (宮城県・石巻)。同館が建つ南浜・門脇地区は、東日本大震災によって引き起こされた最大で16メートルにも達する大津波に襲われただけではなく、流出した油に引火して幾つもの爆発が発生。13日午後6時頃まで火災は続き、当時の人口の約8%にあたる500人以上の人々が犠牲となりました (震災直前2011年2月末現在の南浜町1〜4丁目、門脇町2〜5丁目、雲雀野町1丁目の人口は4,525人)。そのため、震災前には多くの住宅が密集していた同館の周辺は石巻南浜津波復興祈念公園として整備され、その広大な、生活臭がまったく失われてしまったランドスケープの上に伝承館は、ぽつねんと建っています (周辺に植えられた木々が数10年後には慨成する杜となることが期待されています)。
同館の展示目的は、「東日本大震災と同じ悲しみと混乱を繰り返さないために、震災の記憶と教訓を永く後世に伝え継ぐ」とされ、「かけがえのない命を守るために、未来へと記憶を届ける場」といったコンセプトが掲げられています。
屋内直径40メートルの正円形の館内には、津波の歴史やメカニズム、東日本大震災の概要と県内被害を伝える映像やパネル展示があり、経験から得られた自然災害に対する防災の心得や対処法も学ぶことが出来ます。
みやぎ東日本大震災津波伝承館が建つ石巻市旧北上川河口付近の震災前 (2001年9月) と震災後 (2011年4月)、現在の姿を捉えた空撮。
石巻から広島を目指し、10年余り被爆地と向き合って来た私は、どうしても同館と広島平和記念資料館を比較してしまいます。云うまでもなく「被災」と「被爆」の違いがあるため、同列に扱うわけには行きません。しかしながら、最大の違いは何かと云えば、「遺品」展示の有る無し。これに尽きます。
広島平和記念資料館は、地質学者で初代館長でもあった長岡省吾らが自ら足を使って収集した瓦礫を始めとする被爆資料をもとに1955年 (昭和30年) に開館。こうした被爆資料や遺品を公開展示することから始まりました (同館に収蔵されている被爆資料は約2万2000点にも上り、2024年度には約50件、今年度も今月13日時点で25件の文書や写真などが寄贈されています)。
特に2019年 (平成31年) 4月のリニューアル・オープン以降は、志賀賢治館長 (当時) が「固有名詞のある”もの”をして語らせるために最適な環境を整えることが我々の職務であり、責務」と語って下さったように、”もの”を通じて被爆の実相を後世に伝えることに主眼が置かれています。
一方、2012年 (令和3年) 6月6日に開館したみやぎ東日本大震災津波伝承館には、こうした人的、物的被害の壮絶さや凄惨さを生々しく伝える展示物は、一部映像を除けば殆どありません。津波という自然現象を正しく学び、防災に役立てる学習の場といった立て付けとなっています (1994年に開館した気仙沼市のリアス・アーク美術館には被災現場写真203点、被災物155点、その他歴史資等137点が展示されています)。この違いをどのように捉えるかは、来館者それぞれの考え、価値観に委ねられます。目を背けたくなるような遺品や津波による疵痕にこそ「二度と繰り返してはならない」といった想いが込められている。または、感情を揺さぶるような展示は寧ろ、冷静な思考と判断の妨げになる…。どちらも正論であり、どちらも正解ではない。ふたつの振り子の間を惑いながら、苦悩しながら往き来し、真摯に学び続けることに意義がある。結論は、どこにもありません。
ただ、広島と石巻とを比べれば、”あの日”からの歳月が明らかに異なります。東日本大震災が発生したのは、ほんの14年前のこと。表面的には瘡痕も消えつつあるかのように見えますが一度、痂皮が剥がれると止めどなく鮮血が迸り出る。必ずしも時は、人の心を癒やすものとは限りません。
この伝承館は、未来へ被災の実相そして防災の重要性を伝える大切な使命を負っています。当初、国が位置付けた「第2の祈りの場」として機能させるのか、それとも県が付加した展示に重きが置かれるのか。そこには果たして遺品が並べられるのでしょうか。すべては石巻の方々がどのように考え、行動に移すか。いかにしてこの施設を活かして行くかにかかっています。






































