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「私は雨が好きです」と、

ハー・シグン (河時根 강시근) はいう。

「つつじが好きです」とも。

いかに苛酷な人生であろうとも、

ひとは、”雨”と”つつじ”があれば、

生きて行ける。

 

秋田雨雀 土方与志 記念 青年劇場の第134回公演『三たびの海峡』を紀伊國屋サザンシアター(東京・新宿) で鑑賞しました。この作品は、吉川英治文学新人賞を受賞した作家 帚木蓬生の同名作を下敷きに太平洋戦争中、朝鮮半島から強制的に動員され、炭鉱労働に従事させられたひとりの男の苛酷で数奇な運命を描いた意欲作です (61日まで)

脚本・演出を担ったシライケイタ氏は (劇団温泉ドラゴン代表)、5年前に青年劇場と初めてタッグを組み詩人ユン・ドンジュ (尹東柱 윤동주の半生を追った『星をかすめる風』と同じく、シンプルな舞台装置でありながらも印象的な台詞回しと小気味良い展開で、観る者を単色の世界へと引きずり込んで行きます(https://japanews.co.jp/concrete5/index.php/Masazumi-Yugari-Official-Blog/2023/2023-09/空と-風と-星と-詩の挽歌または賛歌)。

 

1944 (昭和19)時根は筑豊炭鉱で働くことを知らされることなく初めて玄界灘を渡ります。39 (昭和14に国家総動員法に基づく国民徴用令が国内のみならず朝鮮半島においても施行され、70万人余りの朝鮮人労働者が日本の地を踏みました。ところが” 炭鉱” は徴用の対象となる” 産業” ではなく、” 自由募集によって駆り集められただけに労働環境や業務内容、賃金など不明な点が多々あり、未だ彼らの” 戦後” は終わっていません。

「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」 (日韓基本条約の発効と同じ65 (昭和40に発表された『朝鮮人強制連行の記録』 (朴慶植 著) を皮切りに強制動員の研究が始められ、大韓民国では政府委員会「対日抗争期強 制動員被害者調査及国外強制動員犠牲者等支援委員会」 (韓国強制動員調査委員会) が主導し、動員された人々の実態調査が進められて来ました。しかしながら雇用主が保管すべき動員当初名簿や就労者名簿,逃亡者名簿,帰国者名簿といった基礎的資料が散逸または破棄されているため事実解明は至難の業となっています (2017年には長崎地方法務局が、三菱重工長崎造船所に徴用されていた朝鮮人労働者のものと推定される3400人の供託名簿を、1970年3月末の段階で保存期間が満了したとの理由から同年8月31日付で廃棄したことが明らかとなり物議を醸しました。これは朝鮮人強制動員被害者については保存期間が過ぎていても名簿を廃棄しないようにとの我が国の法務省による58年の通達にも反する措置でした)。

 

『三たびの海峡』では、時根が直面した苛酷な労働環境、虐待、そして虐殺の実態が生々しく描かれます。実際、広島県を例に取れば戦時中、高暮ダム建設のために約3000人の朝鮮人労働者が施行業者の奥村組によって動員されていました (半数が強制連行者)。比婆郡庄原町 (現・庄原市) の消防団では敗戦直後、火災には3つ、朝鮮人労働者との衝突の際には5つのサイレンを鳴らし一度、事が起これば町内の男衆は全員棍棒などを持って集合する、といった申し合わせを行っていました。

劣悪な環境に耐えきれず時根は逃亡を企て祖国解放後 (光復 광복)、逃亡先で出会い彼の子を身ごもった千鶴と共に再び海峡を渡ります。本作は、日韓の間に横たわる漆黒の歴史を縦糸に、両国の若者の純愛、そして悲恋を横糸に紡がれて行きます。必ずしも他者への憎しみだけではなく、朝鮮民族が内包する哀しみ、或いは諦観の美学までをも含んだ“恨”の情感をもひとつ、ひとつ真摯に拾い集めて行きます。

 

そして47年を経た3度目の渡航。筑豊炭鉱のボタ山で時根は何を見たのか。対峙する吉祥寺を遠望し、沸き上がる感情を抑えきれず彼はなぜ故に慟哭、アイゴ (아이고したのか。衝撃的なエンディングは、”清順美学”を彷彿とさせる鮮烈な色彩によって伏線を一気に回収する、我が国の舞台史上希に見るほど見事な数分間でした。

日本と朝鮮半島は、時として微笑みを湛え、時には牙を剥く暗く深い海峡によって分かたれています。しかしながら櫂を漕ぐことをやめてはならない、櫓を手放してはならない。そう心に誓う者たちにとって『三たびの海峡』は、ひとつの道標を示してくれます。四たび、玄界の波頭を越えるのは果たして誰か。”愛” と ”憎” をひしと抱き締めながら。