紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA (東京・新宿) で上演中の秋田雨雀・土方与志 記念 青年劇場創立60周年・築地小劇場開場100年記念公演『失敗の研究 ー ノモンハン 1939』を鑑賞しました (今月23日まで)。
昭和史を斬新な切り口で抉り取り、問題提起し続ける同・劇団はこの新作で、日本帝国陸軍迷走の端緒となったノモンハン事件を取り上げています。「戦争」、「平和」を主題に据える舞台は数多いものの、「軍事」に焦点を当てた作品は、極めて珍しい。劇団『チョコレートケーキ』に所属する古川健氏が書き下ろした意欲作は、観る者に「どうしたら戦争を終わらせることができるのか」と問いかけます。
ノモンハン事件とは、1939年 (昭和14年) 5月11日から同年9月16日にかけて満州国 (現・中華人民共和国東北3省) とモンゴル人民共和国 (現・モンゴル国) の国境線を巡り、首都 新京 (現・長春市) に司令部を置く関東軍とソ連・モンゴル軍との間で勃発した軍事衝突です (局地的な国境紛争であったとは云え、正規軍同士の戦闘であったため、軍事上は「事件」ではなく「戦争」もしくは「紛争」と称すべきでしょう)。
物語は、70年安保闘争の最中 (昭和45年)、未だ女性編集者が珍しかった時代に大抜擢された沢田利枝 (岡本有紀)が、売れっ子作家の発案でノモンハン事件の取材を担当することとなり、帝国陸軍が遭遇した最も凄惨な戦闘の実態を知ることから始まります。
この軍事衝突において帝国陸軍は、関東軍の組織的脆弱性ならびにインテリジェンスの軽視により、戦死者7,696〜8,109名を出す (戦傷者8,647〜8,664名) 歴史的大敗を喫します (ソ連軍の戦死者は9,703〜10,000名以上)。その結果、我が国では対ソ開戦論 (北進論) が影を潜め、停戦協定成立後は、インドシナ方面への”南進”を選択することとなります。
ノモンハン事件は、まさにアジア・太平洋戦争の指針を定めた戦いでしたが情報戦を疎かにし、精神論に依拠する帝国陸軍の弱点がすべて露呈した一戦であったとも云えるでしょう。米国の戦力を見誤り、短期決戦に臨んだ帝国海軍然り、いかに我が国が近代戦に対応出来るだけの戦術を持ち合わせていなかったかを、本作は改めて再認識させてくれます。
満ソ国境紛争処理要綱を起案し、関東軍を無謀な戦闘へと駆り立てた辻政信 関東軍作戦参謀 (左)。
このブログでも度々指摘して来ましたが、「平和」を構築するためには「戦争」の実態を知らなければならない。「戦争」を理解するためには「軍事」に精通する必要があります。「軍事」いわゆるインテリジェンスを軽んじる姿勢、それは当時の関東軍のみならず我が国の平和運動が内包する幼児性の一因でもあります。
本作では、まるでミステリー・ドラマにように関東軍の内部崩壊、参謀本部との葛藤が繙かれます。”戦場体験”を肯定する者、致し方なかったと悔恨する者、決して闇に葬り去ってはならないと声を挙げる者。「生き残ってしまった戦場体験者」が次々に立ち現れ、多角的にノモンハン事件の実相を浮かび上がらせて行きます。その過程で、後年ノンフィクション作家として成功を収めることになる沢田の自我の形成、女性としての精神的自立も描かれます。
冷静な判断力を喪失し、メンツを守るべく暴走した関東軍。古今東西、戦争の終結を困難にしているのは、こうした極めて人間的な”感情”でもあります。これに対抗する理念として「いのちの重さ」を知覚すること、と本作は訴えます。これもまた人間本来のメンタリティと云えるでしょう。
何よりも重要なのは「戦争を始めないこと」。そのためには、軍事を学び戦争の本質を理解し、いかにして無益な戦闘を回避するか、取るに足らないプライドに囚われない良識と決断力を身に付けるか。
年老いた沢田は呟きます。「人間は、過去から学ぶことが下手だから」。愚かな歴史を繰り返さぬために、我々は失敗の検証を怠るわけには行きません。「戦争」とは哀しいかな、人間が持って生まれた宿痾の結晶なのだから。