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ホームが地上2階にあった頃の東急東横線・渋谷駅

 

歌というものは不思議なもので、聴き手の想像力の産物である”光景”と重なり合って記憶の底に沈んでいます。その”ある光景”は、同じ歌であっても人それぞれ異なる。ふたつとして同じ”光景”はありません。文学も然り。創作者の意図を軽々と凌駕してしまう作品だけが、時を超えて生き続けます。あなたの心のずっと奥底に。

 

ある年代の皆さんは、竹内まりやさんが作詞・作曲した『駅』を耳にすると、胸が締め付けられる想いに駆られることでしょう。1986年、まさにバブル経済の真っ只中に竹内さんが、当時人気絶頂期にあった中森明菜さんに提供された楽曲です (第28回 日本レコード大賞 優秀アルバム賞を受賞したアルバム『CRIMSON』に収録)。

この”駅”とは、慶應義塾大学の日吉キャンパスに通っていた竹内さんも利用していた東急東横線の渋谷駅をイメージして書かれたと云われています。なるほど、大都会に住むちっぽけな男女の切ないすれ違いを見事に描いたこの作品の舞台は、小田急線ではなく、京王線でもなく、況してや京浜急行電鉄ではあり得ない。やはり洗練された雰囲気が漂う東急東横線でなければ成り立ちません。

ちなみに竹内さんがモデルにされた地上2階にあった東急東横線・渋谷駅は2013年3月15日に閉鎖され、ホームは地下へ潜ることとなります。深さ30メートル余りの地下5階ともなれは「改札口を出る頃には 雨もやみかけた この街に ありふれた夜がやって来る」といった情景には出会えません。また渋谷駅周辺は現在、広域渋谷圏 (Greater SHIBUYA) 構想に基づいた大規模再開発が2027年まで行われており、最早『駅』が醸し出す風情は少しも感じることが出来なくなってしまいました。

 

   現在の東急東横線・東京メトロ副都心線・渋谷駅

 

竹内さんは翌87年に『駅』をセルフカバーし、シングルカットされた同曲は大ヒットを記録します。夫の山下達郎さんが中森さんの解釈に納得が行かなかったことから、改めて完璧とも云えるアレンジを施し名曲に仕上げました。マイナーコードであるにも関わらず、明るい声質の竹内さんが歌うとなぜか、悲恋でありながらも重くなり過ぎず、スタイリッシュなシティ・ポップスになっているところはさすがとしか云いようがありません。

そう云えば、バブル期の恋愛はどこか軽はずみで刹那的であったように記憶しています。まるでシャンパン (ドンペリ ピンク) の栓を抜くかのように鮮烈に出会い、愛し合い、泡のように儚く消えてゆく。泣き疲れても、高層ビルの谷間を漂えば、「私だって、もう一度やり直せる」と無邪気に思えた時代。

 

一方、中森さんのオリジナル・バージョンは、彼女の湿気を帯びた不世出のハスキーボイスが歌詞にねっとりと絡みつき、2年の歳月を経ても尚、忘れられない”愛したひと”への募る想い、いや”情念”が切々と吐露されています。なぜか、中森さんの”駅”からは、渋谷駅の面影が感じ取れない。常磐線の土浦駅であっても、上越線の水上駅であっても、伯備線の新見駅であってもあり得る愛おしい”光景”です。不思議なことに”ある光景”は、同じ歌であっても歌い手によって異なることをこの『駅』は、改めて思い起こさせてくれます。

 

竹内まりやさん自らが歌った『駅』。中森明菜さんバージョンと好みが真っ二つに分かれるところが興味深いところです。

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