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   基町高校の生徒たちが手掛けている「次世代と描く原爆の絵」に触れ、私が興味を抱いたもうひとつの理由は、その独特のティーチング/ラーニング・メソッド(学習方法)にありました。これまで、被爆体験のみならず過去の歴史を後世に伝える手法としては主に、「体験者から直接お話を伺う」といったスタイルが用いられて来ました。言うまでもなくオーラル・ヒストリーは最も正確かつ効果的であり、これに勝る方法はありません。

 

   しかしながらこの手法にも落とし穴があります。いくら当事者から体験談を伺ったとしても、実際にその日、その場にいなかった私たちにとって、彼らの経験を自らのものとして受け止めることは、決して容易ではない。被爆体験証言者の皆さんが、広島平和記念資料館にやって来た小・中学生に講話をされる現場にはこれまで何度も立ち会わせて頂きました。子供たちが、この世のものとは思えないほど凄惨な歴史的事実を聞き知り、涙し、怒りを覚える様子を見聞し、また信念を持って語られる被爆体験証言者の皆様の姿に、私も幾度となく感動を覚えました。

   ただその数日後、どれほどの子供たちが体験談を忘れずにいるでしょうか。1年後、どれだけの子供たちが自らの糧として胸に刻み続けているでしょうか。ある被爆者の方は、「いくら話しても、わかってもらえんことは多いですよ。それでもかまわんのです。伝え続けることが大事だと思うとるから」と話して下さいました。子供たちの、これからの長い人生のどこかで、ふと想い出してくれればいい、といったその謙虚さに、私は頭が下がる想いでした。しかしながら、果たして私たちはこうした皆さんの気持ちに甘えていて良いのでしょうか。

 

   そうした隔靴掻痒の想いにひと筋の光を与えてくれたのが「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトでした。高校生たちは単に体験談を伺うだけに留まらず、「絵を描くために」当時の写真や文献を集め、周囲の人々にも話を聞きながら、理解を深めます。こうした過程で、親族が被爆者であったことを初めて知った生徒たちもいました。しかしながら、これだけでは「絵」は描けません。一旦、被爆体験証言者が体験したあの日、あの場に自らをワープさせることになりますが、これは精神的にもかなりの負荷がかかるプロセスです。その上で絵筆を取り、取り込んだ「記憶」をキャンバスの上に吐き出して行く。つまり、頭と心だけではなく、手と足も使い、「被爆体験」を一旦、身体の中に取り込むことで疑似体験を試みるわけです。

 

   こうしたメソッドを知り私は、「これはあらゆるケースに使えるのではないか」と気づきました。被爆体験のみならず戦争体験、自然災害、場合によってはDVやいじめの「記憶」を「記録」する手法としても用いることが出来る。その意味において日本だけに留まらず世界中、あらゆる教育現場で流用出来るユニバーサルなメソッドなのではないかと。また、表現方法も絵画だけではなく文学や音楽、演劇など様々な表現形態にも拡げることが出来る。

   東日本大震災の際には、多くの方々が咄嗟にスマートフォンで迫り来る大津波の様子を動画や静止画で「記録」されました。しかしながら、スマトラ沖大地震が引き起こした大津波(2004年)やペルー地震(2007年)の被害を伝える映像は数多くありません。高価なハイテク機器が普及していない地域ではその日、その場で目撃した光景は、未だに体験者の「記憶」の中にしか残されてはいないのです。二度と、同じ過ちを繰り返さないためにも、体験者の心の奥底に刻まれた「記憶」を「記録」し、継承して行く必要があります。当事者の「語り」だけではなく、子供たちや孫たちの疑似体験を経ることで、新たな「言語」が生み出される、と私は考えます

 

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